山形教育用品株式会社 - 豊かな郷土山形を愛する子どもたちのすこやかな成長を願っています。

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2008年08月01日

風雲山形城

来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公は直江兼続です。山形はというか米沢は、この機会に、全国から観光客を呼ばなければと、もう、今から大騒ぎです。新潟県でも、直江兼続は新潟が生んだヒーローだと、観光宣伝に懸命です。

NHKの「2009年大河ドラマ『天地人』企画意図」というものによれば、このドラマは、「ひたすら『利』を求める戦国時代において『愛』の為に生きた英雄とそれを支える女たちの物語!!」だそうです。

幼い頃から「眉目秀麗、利発」、上杉謙信の薫陶を受け、「知勇兼備の名将」となった直江兼続だそうですが、山形では、山形の英雄、最上義光と戦ったことで有名です。このドラマ、主役が兼続ですから、義光は敵役ということになります。なんか、この構図、前にもあったような…。

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1987年の大河ドラマは「独眼流政宗」でした。当然主役が伊達政宗、そして、我らがヒーロー最上義光は、ひどい悪人に描かれていて、このドラマは、山形ではかなり評判が悪かったのです。このたびも、そうならなければよいのですが。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが始まりました。当時、置賜と庄内は西軍についた上杉景勝の領地であり、村山と最上は東軍の山形城主最上義光が治めていました。上杉の重臣、米沢城主の直江兼続は、分かれていた置賜と庄内を結ぶため、山形城を攻めることにしたのです。

白鷹から攻め入った上杉軍2万人、激戦の末、畑谷城を落とし、長谷堂城に迫りました。この時、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、兼続は、急ぎ米沢に退却しました。山形城は助かったのです。

ところで、某小学校の運動会では、毎年、6年生が、『風雲山形城』という剣舞を踊っていたことがありました。「月山の~」という詩吟のはいる歌に合わせて、剣道着を着て、竹刀と白扇を持って、130人が踊るのです。その3番の歌詞はこうです。

 風雲告げる 狐越(きつねごえ) 畑谷落城 指呼(しこ)の間 
 東軍勝利の 陣ぶれに 勝鬨(かちどき)あがる 山形城

腰の入ったきりっとした剣舞にするのは、並大抵のことではありません。そこで登場するのが学年主任です。関が原の戦いから、「奥羽の関が原」といわれた、畑谷城の決戦、長谷堂城の戦いの特別授業、『風雲山形城』が行われるのでした。

大きくなった子どもたちは、今も、酔いがまわると、『風雲山形城』を踊るそうです。

2008年08月08日

薩摩のお姫様、篤姫と貢姫

「天地人」は来年ですが、今年のNHK大河ドラマは『天璋院篤姫』です。私も毎週みておりますが、とても評判がよいそうです。篤姫は、ご存じの通り、薩摩藩島津家のお姫様から、将軍徳川家定の奥さんになりました。

新庄、戸沢藩には、篤姫の大叔母さんが嫁いでいるのです。この間、雪の里情報館の井上館長さんにお聞きしました。篤姫は、徳川家と日本国の歴史をつくりますが、戸沢藩に薩摩から輿入れしたお姫様は、戸沢藩と山形県の歴史をつくることになるのです。

篤姫の大叔母、貢(こう)姫は、13歳のとき、新庄藩10代藩主戸沢正令(まさよし)の正室となります。正令は、在位4年で死去、貢姫は桃令院となり、11代藩主正実(まさざね)が幼年であったので、補佐役となります。篤姫も14代将軍の補佐役でした。

幕末の新庄藩はとても大変だったのです。慶応4年、つまり明治元年、鳥羽伏見の戦いが起きます。そのきっかけは、庄内藩による、薩摩藩邸の焼き討ちでした。このことは、後に、薩摩と庄内の「徳の交わり」につながるのです。

新庄藩は、藩主の母、桃令院貢姫の実家が薩摩ですので、新政府軍に味方していました。ところが、庄内藩をはじめとして、東北地方は幕府方が多かったのです。新庄藩も加わり、「奥羽越列藩同盟」がつくられました。

この「奥羽越列藩同盟」、もし成功していたら、東北地方を中心とする日本国ができあがって、おもしろかったでしょうね。残念ながら、新庄藩のように心変わりをする藩があり、「奥羽越列藩同盟」は崩壊してしまいます。

桃令院貢姫、「新庄藩は新政府の味方よ」とがんばったのでしょうか、新庄藩が反旗を翻すと、庄内藩に攻め込まれ、新庄は灰燼と帰してしまいます。藩主正実と桃令院は、秋田(久保田藩)に逃げていきました。やがて新政府軍が攻めてきて庄内軍が退却するまで、70日間、新庄は、庄内藩に占領されてしまいます。

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桃令院が、そこまで読んでいたらすごいのですが、藩主正実は、「新庄藩のおかげでうまくいったよ」と新政府からほめられ、1万5千石も加増されます。次の年の版籍奉還では、知事にもなりました。戸沢藩はうまくいったのです。

天璋院篤姫は、薩摩藩を中心とする新政府軍から、最後の将軍徳川慶喜と江戸城、そして大奥を守ります。その戦いの相手が、かつての家来、西郷隆盛だったのです。篤姫は、明治16年、48才でなくなりました。

戸沢藩を守った篤姫の大叔母、桃令院貢姫は、篤姫よりも18才年上なのですが、明治24年、東京で亡くなりました。74才でした。

2008年08月11日

残暑お見舞い申し上げます

残暑お見舞い申し上げます。立秋も過ぎたのですが、まだまだ暑い日が続きます。ご自愛くださいますように。

当社、本日より夏休みに入ります。夏休みといえば、子どもたちは宿題に追われることになります。夏休みの宿題といえば、何を思い出しますか? このごろは余りはやらなくなったのでしょうか、自由研究というものがありました。

この自由研究、半分はというか、ほとんどは親の熱意と親の技量と親の感性にかかっています。張り切るのは、子どもより親なのです。私も、何を隠そう、自由研究の鬼でした。子どもが何と言おうと、今年はこれ! ときめたらそれなのです。

笹川流れのきれいな海岸で、貝がらをひろって標本をつくる、海草標本をつくる、海浜の植物の標本をつくる、ハマヒルガオの根をどこまでも掘り続ける、磯の生物を絵に描いて名前を調べる、…。ネタはいくらでもあるのです。笹川流れの海岸の一つ、柏尾が、私のホームグラウンドでした。

柏尾の浜にはめずらしい植物があります。イソスミレ、別名、セナミスミレです。土地の名前をつけた植物で、瀬波温泉あたりの浜の特異なスミレということでしょう。この花のむらさき色は、ほかにどんな花にもありません。それはそれはきれいです。

ところで、柏尾では、このセナミスミレが、絶滅状態になっています。それは、乱獲によりなどということではありません。地球温暖化です。今、柏尾の浜はどんどん削られています。去年まであったセナミスミレの群生地が、波に削られてなくなっているのです。

そして、同じように、ハマヒルガオも、ハマエンドウも、ハマゴウも、ハマナデシコも、少なくなっているのです。これは何とかしなくてはと、遠く山形の地から訴えることができるのは、その昔、子どもの自由研究で、「柏尾の浜の植物」という標本づくりをしたり、「ハマヒルガオの根っこはどこまで?」の研究をしたからなのです。

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浜の植物の標本づくりは大変です。もともと乾燥に強い植物ですから、乾燥するまで取り替える新聞紙も相当です。そんなこと、私の娘がこつこつとやるわけはありません。ハマヒルガオの根は、砂の中で地下茎を伸ばし、どこまでも続いています。それを、あの炎天下、シャベルで掘り続けることを、私の息子がやり続けるはずがありません。

でも、親はがんばるのです。子どもを励まし励まし、怒鳴りつけ怒鳴りつけ、こんなことはじめなければと、後悔しながら。

おとうさん、おかあさん、この夏休み、自由研究、がんばりましょう!

2008年08月18日

オリンピック、たくさんのドラマが

夏季休業あけ、当社、今日からまたスタート。その日にふさわしく、見事に晴れ上がって、それでいて涼しくさわやかで、元気の出る天気です。山形の子どもたちも、もうすぐ夏休み明けのスタートです。充実した実りの秋となりますよう、全力でお手伝いいたします。よろしくお願いします。

北京オリンピック、毎日、たくさんのドラマをみることができ、感動の連続です。きのうは、女子レスリング、浜口選手の銅メダルに続いて、伊調馨選手、見事に金メダル。前日の、吉田選手の金、伊調千春選手の銀とあわせて、4選手、全員がメダル獲得の女子レスリング。

テレビでみているのに、試合中はたいへんです。勝ちそうになれば立ち上がり、危うくなれば手を振り回し、審判の判定に声を上げ、ポイントを取られてはため息をつき、残り秒数が少なくなればおろおろし、勝って涙を流す姿を見てはもらい泣きをする、とまあ、戦っている人ほどではありませんが、たいへんです。

メダリストであるかどうかにかかわらず、選手一人一人には物語があります。マスコミは、メダリストに限り、それこそていねいに、その物語を紹介します。120連勝ストップで号泣した吉田選手がオリンピック2連覇する物語、金、銀姉妹が今回は2人とも金と言われてまた金、銀となった伊調姉妹の物語。そして、親子で「気合いだ!」とレスリングに取り組んで、今年こそは金を目指した浜口選手が銅に終わった物語。

それぞれ、北京五輪を目標に、鍛えに鍛え、耐えに耐えて取り組んできた結果が、メダル獲得という栄光の物語になりました。そのうえで、早くも、次のオリンピックへの物語を語り始めるマスコミであります。

メダルにはとどかない選手、1回戦で敗退してしまった選手もたくさんいます。というより、勝者の数よりも、敗者の数の方が多いのは当たり前です。金メダルは1人だけですから。その、たくさんの敗者である一人一人の選手にも、物語はあるのです。

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学校は、また子どもたちの声で賑やかになります。一人一人の子どもが、それぞれに夏休みの物語を持って元気に、登校します。そして、家での物語を背負って登校し、学習や活動の中で、自分の物語をつくる毎日が始まります。

山形の学校は、一つとして同じではない子どもの物語をていねいに読みとる先生でいっぱいです。たとえ他の子どもと比べて十分ではないことがあったとしても、彼なりに精一杯のことであったならばほめてやる、そんな先生でいっぱいです。

オリンピックはまだまだ続きます。メダリストたちの物語とともに、そうではなかった選手たちの物語をも、楽しみたいと思います。

2008年08月26日

「徳の交わり」は今も生きている

庄内に行って来ました。山形はひどい雨、楯岡の最北支店の仕事を済ませ、新庄へ。新庄に近づくと明るくなって、大雨注意報は間違いでは、と思わせる天気。きのうは大雨で崖崩れが起きたという47号線を、酒田に向かいました。覚悟した割には雨も降らず、ときおり陽が差したりして、鳥海山も見えました。

次の朝、庄内支店に向かう前に、南州神社に参拝しました。南州神社は、西郷隆盛を祀る神社です。「南州神社」の大きな看板を左に入り、石鳥居をくぐると、正面に、探していた「徳の交わり」の銅像が見えました。

「徳の交わり」の銅像は、以前、鹿児島を訪れたとき、武(たけ)町の西郷屋敷跡に建てられていたものを見てきました。それが、酒田にもあるというのです。左に臥牛翁(菅実秀)が座し、右に南州翁(西郷隆盛)が腕組みをして座っている2人の銅像です。

庄内藩は、戊辰戦争を最後まで戦いましたが、奥羽越列藩同盟は崩壊し、会津藩も破れ、庄内藩はついに降伏しました。江戸薩摩藩邸を焼き討ちしたこともあり、庄内藩は厳しい処分を覚悟していました。しかし、庄内攻めの総大将黒田清隆は公明正大、極めて寛大な処置をしました。その裏には、新政府軍司令官の西郷隆盛の指示があったのです。

藩主酒井忠篤(ただずみ)をはじめ、庄内藩はいたく感激し、以来、西郷隆盛を師と仰ぎ、たびたび鹿児島に藩士をおくり、教えを請いました。庄内藩の家老、菅実秀(すげ さねひで)も鹿児島を訪れて西郷と語り合い、2人は肝胆相照らす仲となったのです。

西郷隆盛と庄内藩の交流はその後も続きます。不幸にも、西郷隆盛は西南戦争に巻き込まれていきます。その時、庄内藩から勉強に来ていた、伴兼之20歳、榊原政治18歳の2人は、西郷の帰郷の勧めを断り、戦いに加わって戦死しました。2人は、鹿児島の南州墓地に今も眠っています。

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西郷隆盛に学んだことをまとめた本があります。『西郷南州翁遺訓』です。これは、庄内藩士が聞き取った西郷隆盛の言葉を、明治22年、菅実秀が一冊にまとめ、出版したものです。訪れた朝、資料館の方が私たちをみとめて、『西郷南州翁遺訓』をくださいました。

西郷隆盛を人生の師と尊敬する実業家がいます。京セラ、KDDIの設立者、稲盛和夫氏です。氏は、『西郷南州翁遺訓』二十四「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」を座右の銘とし、『敬天愛人』を京セラの社是としました。

もうすぐみなさまにお届けする当社広報誌『教育フロンティア』秋号、「学校キラリ」に鶴岡市立第二中学校が登場します。西郷屋敷のある学校、鹿児島市立武中学校と姉妹校の交流を続けている学校です。「徳の交わり」は、今も生きています。

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