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2008年12月02日

南部片富士

盛岡に行って来ました。琴城流大正琴の東北大会があり、140人近くの山形愛好会会員が参加したからです。去年は郡山で行われましたが、今年は盛岡です。

盛岡は、さすがに遠いですね。4台のバスが、県内各地を出発しました。一番早く出発したのは、米沢駅前発7時。そのバスが、米沢、南陽、上山と会員を乗せてやってきて、私が乗せてもらう県庁前に到着したのは8時45分。

昼食の花巻に着いたのは11時30分。ここまで、米沢の方はもう4時間半も乗っているのです。盛岡は、花巻からまだ40分もかかります。それでも、近づくに連れて岩手山が見え始め、その40分はあっという間に過ぎてしまいました。

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「岩手山は、奥羽山脈にありながら、主稜からは離れており、独立峰にちかい形態である。岩手県最高峰、2,038メートル、岩手県八幡平市、滝沢村、雫石町にまたがり位置する。静岡県側から見た富士山に似ており、その片側が削げているように見えることから『南部片富士』とも呼ばれる」(ウィキペディア)

見事に晴れ上がった空に、くっきりと浮かぶ姿は、まさに富士山でありました。「こんなにきれいに見える岩手山もめずらしい。みなさんは、本当についている、日頃の精進の賜」と、ガイドさんにも褒められて、車内のあちこちから歓声が上がったのでした。

さて、盛岡の県民会館に着いて13時15分。岩手県民会館は、盛岡城跡のある岩手公園や県庁などの街の真ん中にありました。1,991席の大ホールと602席の中ホール、ほかに展示室やリハーサル室、ミーティングルームなどをもつ、新しい、堂々たる会館です。うらやましい!

出演グループ毎にリハーサル。大正琴の演奏会では、琴は会場に設置してあり、演奏会には楽器を持たずに行くことができます。それはとても便利なことなのです。なにせ、大きな重い荷物が一つ減るのですから。

リハーサルでは、自分の楽器ではない、ステージ上に設置してある楽器で弾いてみることもありますが、それ以上に大事なことが、たくさんあります。伴奏の打楽器とキーボードとの打合せ、特に、テンポをどうするかは、とても大事です。

ステージに登場するまでに、どこに、どのように集合し、どこを通ってステージに上り、演奏後はどこを通ってもどるのかも、大事です。舞台の袖はとても暗くて、段差があったり、妙に曲がりくねっていたりするのです。

リハーサルを終えて16時、本日のお泊まり場所へ。もう、くたくたです。

つづく

2008年12月05日

南部片富士 その2

リハーサルのその日、泊まったところは、鶯宿温泉でした。南部片富士は夕闇にかくれ、湯けむりが高く吹き上がっていました。140人そろっての会食は壮観でしたが、明日の演奏をまえにしての緊張でしょうか、1時間ほどで終わりました。

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明けていよいよ演奏会の朝。日の出前のうす暗い中、東の空が赤く燃えはじめ、山々が浮かび上がってきました。その中に片富士。西のも裾をますますなだらかに引きながら、その姿を現しました。山頂近くの雪化粧が薄紫に輝いています。

折しもその時刻、衣桁に掛けた着物に袖を通し、きりりと帯を締め上げて、それこそ南部片富士のように入念な雪化粧。できあがって鏡にむかい、朝焼けに染まる南部片富士を横目に見て、「よーし、やるぞ、見事な演奏!」。会員のみなさまの、そんな様子を想像しました。

ホテルの朝食もそこそこに、いざ会場に。なんと、出だしの第1景が山形のステージ。一糸乱れぬ邦楽『越後獅子』の演奏に続いて、次の曲へ。着物姿の全員が、動きをそろえてその場で襷掛け。掛け終わって威勢よく、『千恵っ子よされ』が始まりました。

鳴りやまぬ拍手を背に、40人の会員は紅潮した顔でステージを降りました。仲間が拍手で出迎え、やっと安堵の顔。その顔が、しだいに充実感で満たされていくのが分かりました。舞台に立つ緊張感と演奏を成し遂げた満足感、だから大正琴は止めらないのですね。

今年の東北大会は全36景。第21景はゲスト特別舞台、山崎バニラさんの楽しいお話と、無声映画『のらくろ伍長』の「大正琴弾き語り活弁」でした。金髪、和服、あの声と、自由自在に大正琴を弾きまくって活弁、そのおもしろさに酔いしれました。

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山形愛好会の4つのグループは、それぞれ見事な演奏でステージを終え、最後の36景、盛岡支部の演奏を聴いて、県民会館を後にしました。盛岡を16時30分、夕方はやはり車が多いなあ。夕闇の中、南部片富士が、雲をいただいて見送ってくれました。

前沢SAで一休み。「休憩時間は10分」というガイドさんの声に、「そんなので足りない!」という声。そうなのです、そんな時間では、トイレに行けても、買い物の時間がないじゃないか。おみやげはまだまだ足りない。みなさん、元気いっぱい、バスから降りていきました。

前沢SAを18時に出発。山形に着いたのは19時30分。これから山形市内であちこち停まって、上山、南陽、米沢につくのは、21時を過ぎるなあ。みなさん、本当にお疲れさまでした。来年も、東北大会、いきましょうね。

2008年12月08日

「最初のひとつぶの雪」

二十四節気、大雪です。雪の降る季節がくると、きっと思い出す教材があります。小学校6年生の教科書に載っていた『加代の四季』という、杉みき子さんの文章です。その中に、次のような一節があります。

「あんなに、つもっては消え、つもっては消えしているのに、どうして、いつのまに、ふんでもとけないぶ厚い雪の道ができあがるんだろう。土にとりついて、とけないで、上から落ちてくるなかまをささえた、その最初のひとつぶの雪を、加代は見たい」

「最初のひとつぶの雪」になろうとして、つぎからつぎに落ちてくる雪が、土にとりつこうとしたとたんにとけ、いつまでたっても「最初のひとつぶの雪」になれずにいる、それを、加代は、ガラス窓に顔をくっつけるようにして見ているのです。

「最初のひとつぶの雪」を見たいという加代の気持ちは、子どもたちをびっくりさせます。「そういえば、私も、そう思っていたときが、たしかにあった」と思うのです。そのことを、すっかり忘れていた自分に驚くのです。

金子みすずさんの『つもった雪』という詩があります。これも、教科書に出ているのでしょうか。


 上の雪
 さむかろな。
 つめたい月がさしていて。

 下の雪
 重かろな。
 何百人ものせていて。

 中の雪
 さみしかろな。
 空も地面(じべた)もみえないで。


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杉みき子さんが見た「最初のひとつぶの雪」と同じように、金子みすずさんは、上の雪と下の雪、中の雪を見て、それぞれに思いをよせています。ひとひらひとひらの雪を、ひとからげにせずに、「最初のひとつぶの雪」、「上の雪」「下の雪」「中の雪」と呼ぶ感性。

これは女性の感性なのでしょうか。それも、都会の女性ではなく、雪国に生まれ育った女性の、それはそれはこまやかな感じ方です。雪国の女性は、まさに、『神は細部に宿る』なのです。

2008年12月12日

リメンバー・パール・ハーバー

12月8日は、太平洋戦争開戦記念日でした。戦争を始めた日ですから、めでたいわけではありません。二度とこんなことはしないことを心に誓う日にしなければなりません。

この日を、アメリカでは「リメンバー・パール・ハーバー」の日というのだそうです。アメリカは、「リメンバー・○○」という言葉で、民衆の心を動かすことが、これまでにも繰り返し行われてきました。

古くは「リメンバー・アラモ」。1835年、メキシコ合衆国テキサス州に入植していたアメリカ人がアラモ砦に立てこもり、メキシコ軍に全滅にされた事件です。このあと、「リメンバー・アラモ」とばかりに、アメリカ軍がメキシコ軍を駆逐、テキサス州をアメリカに併合。ついには、メキシコ領土であったカリフォルニアやニュー・メキシコなどもアメリカ領となりました。

1895年、スペインから独立しようとしていたキューバを応援、戦艦メイン号を出したところ、これが大爆発。原因不明のまま、アメリカは「リメンバー・メイン」の声の下、米西戦争に突入します。スペインをうち破り、戦後のバリ条約でフィリピン、プエルトリコ、グアムを植民地化します。

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1941年12月8日(日本時間)、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃(かどうか意見が分かれているようですが)しました。「リメンバー・パール・ハーバー」は、時のアメリカ大統領、フランクリン・D・ルーズベルトが議会演説で用いた言葉だと言われています。

ヨーロッパ戦線ではフランス、イギリスなどが、日中戦争では中国が、ルーズベルト大統領に参戦を求めていました。ちょうどその時、日本軍の真珠湾奇襲が行われました。戦争にかかわることに反対していたアメリカ国民に、ルーズベルト大統領は「リメンバー・パール・ハーバー」と呼びかけたのです。

太平洋戦争は、1945年8月6日の広島、そして8月9日の長崎の原子爆弾投下で幕を閉じました。その年の12月までに、広島で14万人、長崎で7万人以上の多く命が失われました。「リメンバー・パール・ハーバー」の死者は2000人ほどといわれています。

「リメンバー・○○」は、その後も続きます。記憶に新しいのは「リメンバー・9・11」です。2001年に発生した同時多発テロです。これがアフガン戦争、イラク戦争につながったことはご承知の通りです。

「リメンバー・パール・ハーバー」は、「ノー・モア・ヒロシマ」につながりました。でも、日本人は、「リメンバー・ヒロシマ」とは言いません。「ノー・モア・ヒロシマ」です。オバマさんのアメリカが、これ以上、「リメンバー・○○」と言わないことを願います。

2008年12月17日

純白を 花びらのように かさねていって

雪国の女性の感性について書きましたが、雪国の男性の感性としては、吉野弘の『雪の日に』があります。その一節。


 純白を 花びらのように かさねていって
 あとからあとから かさねていって
 雪の汚れを かくすのだ


作者は、雪は純白ではない、汚れるものだ、白いのは「うわべの白さ」だといいます。だから、雪は降るのだ、降りつづくのだといいます。そのうえに、雪は白いものだ、汚れぬものだと信じられているから、雪はせつなくなって、さらにはげしく降るのだといいます。

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このような雪の見方は、雪国の男性の感性です。吉野弘は1925年1月16日、山形県酒田市に生まれました。琢成第二尋常小学校に入学、総代で卒業し、酒田市立商業学校に入学したとあります。(『吉野弘詩集』ハルキ文庫 著者自筆年譜)

吉野弘は、山形が誇る詩人です。私も大好きな詩人の一人です。中学校、高校の国語の教科書に作品が取り上げられていますから、日本中の若者が読んでいる詩人ということになります。当社発行『やまがた中学生の読書2』に、「夕焼け」が載っています。

満員電車で、「としより」に2度も席を譲った娘が、3度目には席を立つことができずにいる、その娘の気持ちを「美しい夕焼け」と重ね合わせている詩です。その娘に心を寄せて、目を離せなくなった作者は、先に電車を降ります。


 固くなってうつむいて
 娘はどこまで行ったろう。
 やさしい心の持ち主は
 いつでもどこでも
 われにもあらず受難者となる。
 何故って
 やさしい心の持ち主は
 他人のつらさを自分のつらさのように
 感じるから。


吉野弘は、この娘を見る目で、降る雪を見たのではないでしょうか。この娘を、満員の車内の人は気づきもしなければ、何とも思わないかも知れません。この娘にしても、受難者などという思いはさらさら無いかも知れません。

そこに間違いなくいるのは、「やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう。下唇を噛んで つらい気持ちで 美しい夕焼けも見ないで。」と思わずにはいられない吉野弘です。彼自身が、「責め」の思い、「受難者」の思いをもったのです。

「どこに 純白な心など あろう  どこに 汚れぬ雪など あろう」と彼は、自分を見つめていいます。人が生きるということは、おのれの汚れをかくすため、「純白を 花びらのように かさねていく」ことだと、彼は、雪国の男としていっているように思います。

2008年12月22日

スペシャル・プラクティス

うれしいお手紙をいただきました。会社の近くの小学校の子どもたちからです。2年生の子どもたち4人が、生活科の地区たんけんで当社を訪問してくれました。一人一人の子どもがお礼状を書いてくれたのです。

事前に、担任の先生から、訪問依頼のお電話をいただきました。当日は、総務部の担当が対応し、会社の中を案内しました。社長室にも案内したので、私もお話をしました。二つのソファーに2人ずつかけて、うれしそうにお話をしてくれました。

自己紹介もしっかりできて、どうしてここに来たか、どんなことを発見したか、はきはきと話してくれました。これはすごい、しっかりした子どもたちだと思いました。先生方の指導が、具体的に、細部まで行き届いていることがわかりました。

生活科では、教室を離れて、学校のまわりや地域で、子どもたちだけで活動させることがあります。それはとても心配なものなのです。交通事故に遭わないか、だれか変な人に連れて行かれたりしないか、迷子にならないか…。

先生方はそれまで、そういうあらゆることに対応できるように、毎日毎日、繰り返し繰り返し指導するのです。その上で、子どもたちを教室からはなしてやります。これまでの指導に自信を持って、子どもたちを信じて、そして勇気を持って。

さて、いただいたお手紙はすてきでした。Aさんは「さんすうぼっくすがたくさんあった」ことを書き、Bさんは「ネームとかをとりよせてくれる」会社だということを書いてくれました。見学しながら、きちんとメモをしていたのです。

Cさんは「ダンボールばこをむすぶきかい」があったこと、Dさんはその機械から「ゆげがでていた」ことを書いていました。観察が鋭い! またBさんは「学んだことは、みなさんは、し事をしている時も、えがおでしていることです」と書いてくれました。

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もう本当にうれしくなりました。大人が喜ぶつぼまで心得たお手紙、すごいなあ。手紙を書くことも大切な学習で、先生方が、書いている一人一人の子どもをていねいに指導したのでしょう。生活科や総合学習は、指導は大変だけれども、子どもに力がつくのです。

通勤途中のラジオから、九里学園高等学校の「スペシャル・プラクティス」の紹介が流れてきました。生徒諸君のはきはきとした応答と、自信を持ったきちんとした話し方に驚きました。校長先生のお話に、社会人として確かに育てるという気概を感じました。

山形は、小学校も中学校も、そして高等学校も、スペシャル・プラクティスをしっかりやっています。それで山形の子どもたちは学力が高く、山形の未来は明るいのです。

2008年12月26日

今年もお世話になり、ありがとうございました

「今日は我が社も御用納めです。お昼、ささやかに年越しそばを食べて、社内をきれいにして、年末の休みに入ります」と書いたのは、去年の12月28日でした。今年は、同じことを、今日書くことができます。無事に年を越すことができて、うれしいかぎりです。

米国発金融危機が世界中に広がり、円高もあって、日本でも自動車産業を中心に景気の悪化、派遣社員のリストラなどの雇用不安が広がっています。それにしても、今年は、金融とか経済とか、いろいろ勉強になる年でしたね。勉強の成果を少し。

金融不安の元は、アメリカのサブプライム問題でした。サブプライムローンがこげつき、ローン会社の債券を買った証券会社や銀行などが莫大な損失を受け、それが世界中に波及した問題でした。これは高い利息に目がくらみ、金儲けに走った結果でした。

アメリカはあぶないと、投資家たちが資金を引き揚げ、アメリカドルと株の大暴落が起きました。アメリカを手本としている日本もまた、経済危機に見舞われています。一体何が問題だったのでしょうか。

『21世紀の国富論』(平凡社)の著者原丈人は、「ゲームに踊らされて力を失ったアメリカ」を取り上げ、「今、アメリカでは企業価値(時価総額)を大きくした経営者がもてはやされますが、それは人間が本来求める幸せとは無縁のものです。そして、よい製品をつくるとか、優れたサービスを行うといった企業目標は、ROE(株主資本利益率)をはじめとする効率を優先した目標の後ろに隠れて、お題目化しつつあります」と指摘します。

派遣社員を切ることや自社資産を売却するなど、無理な人件費の削減や資産の軽減を図り、見せかけの数字をつくる「財務ゲーム」に踊らされているといいます。利益を上げることのみを考えて企業の買収・合併を繰り返す「マネーゲーム」により、「ひとつの産業が衰退してしまう」ことも起こっているといいます。

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12月24日山形新聞一面トップには、「大量人員削減その一方で・・・内部留保空前33兆円」「大手製造業16社集計 5社、減益も増配」の見出しが踊りました。「過去の好景気による利益が、人件費に回らず企業内部にため込まれている」「減益見通しにもかかわらず増配予想を変えていない」会社もあることを報じています。

企業の在り方が大きく問われる年の暮れとなりました。原は、「企業は、消費者に受け入れられる製品やサービスを提供し、従業員を幸福にし、地域社会に還元するという基本的な理念をもう一度確認し、株価など表面的な企業価値に踊らされない経営を目指すべきです」といい、「アメリカの真似」をしない日本企業の在り方を説いています。

新しい年は、難しい経済の勉強をしなくてもよい年でありますように。

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