山形城「三の丸」を一周しました |
白波の あちらこちらや 夏の果 (桂 信子) 「夏の果」。実に素敵な言葉です。お盆も過ぎ、暑さも残りながら秋の気配を感じるこの季節にぴったりの言葉だなと思っていましたが、俳句の世界では、「夏の果」という季語は厳密には七月末から八月初旬ということになるそうです。しかし、現代俳句ではこの時期に詠まれることが多くなり、大目に見られるようになってきたそうです。昔は「夏の果」より「秋近し」と詠んだ俳句が多かったようですが、今の季節、山形では「夏の果」がしっくりします。 会社では6日間の夏季休業も終わり、下期の業務が本格的に始まりました。社員の皆さんはこの休暇中、ゆっくりされたでしょうか。わたしは墓参りはしましたが、友人達との飲み会などで明け暮れ、自堕落な毎日で終わってしまいました。 そんな中、思い立って山形市中心部にある霞城公園の三の丸跡を散策しました。霞城公園は昭和61年に国の史跡に指定されました。今、霞城公園は平成45年を目標年度に本丸跡の完全発掘作業を進めています。たまに通りかかると、少しずつですが風景に変化が見られます。 さて、昔、三の丸内には11の出入り門があったそうです。11という数から「吉字門」(「吉」は十と一と口からなる)と呼ばれています。その一つ、双葉町の双葉公園にあった「稲荷口」を午前10時に北方向にある山形三中グランドに向かって出発。今は公園になっていますが、自分が中学生だった頃は三の丸の堀跡がよくわかる長い窪地になっているところでした。今はすっかりコンクリートにおおわれています。 下条交差点を渡り東に向かうと、山形七小北側にある「みつばち公園」に出ます。ここも三の丸跡です。そのまま東進し、城北高校北側を通って奥羽本線を横切り、神明神社、松岩寺脇を通ります。さらに東に向かい山形四小北側の細道を通って山形メディアタワー西側に出ます。ここには昔、「鍄口(かすがいぐち)」という門がありました。このあたりは今も「小鍄(こかすがい)」と呼ばれている場所で、三の丸城郭の工事のとき、起点と終点の接合点になったということから名付けられました。ここから栄町大通りを南に向かいます。 済生館病院を東に曲がり、大沼デパート裏を南進、途中道がないのでやむなく七日町大通りに出て、グランドホテルから北に向かい山形一小に向かいます。一小と荘内銀行の間に知る人ぞ知る細い道があります。ここも三の丸跡です。中央郵便局裏側は道がないので、山形保健所前を通り歌懸稲荷神社を目指します。
約7.5km、1時間30分の小さな旅でしたが、ふだん住んでいてもよくわかっていなかったことを知ることができ、自分にとってはとても興味深く楽しい遊歩になりました。それにしても、山形城は「最上57万石」と呼ばれていたように、とても広い城だったことがわかります。奥羽地方では最大規模だったそうです。 |