社長ブログ

われら愛す 詩の言葉 4

2009.02.20

部屋の色紙を取り替えました。T画伯の赤いかくまきの女の子の絵とともに、「雪はコンコンとふる 人間はその下に生きているのです」の言葉。芳賀秀次郎先生の言葉です。雪の少ない冬だったのに、色紙を取り替えた晩から、雪が降り続いています。
芳賀秀次郎先生はわが恩師です。国語をお習いしました。また、図書委員でしたのでそこでもご指導いただきました。その当時、図書委員には仙台の図書展示会に行くという恩典がありました。市内の女子高生と一緒に。
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芳賀先生のほかにだれといったのかも、もう思い出すことができません。展示会のことも少しも覚えていませんが、ついでの松島巡りは、今でもふと思い出すことがあります。透きとおるような海の青と緑の島々、船上に立つ芳賀先生のお姿を。風になびく女子高生の髪やスカートとともに。
教職について、F小学校で国語科を研究教科にすることになりました。芳賀先生はそのOB教員であり、年に1,2度お目にかかることもありました。芳賀先生が退職なされ、文筆活動に入られてから、ある日、『体操詩集の世界 村野四郎』を送っていただきました。
それからしばらくして、先生はお亡くなりになったのでした。先生に教わっていた高校時代も、時々お会いしていた教職時代も、私は、芳賀先生の「われら愛す」を知りませんでした。2007年、YBCのラジオドキュメント「われら愛す ? 国家・国民歌についての考察」が文化庁芸術祭大賞を受賞するまでは。
  われら愛す
  胸せまる あつきおもひに
  この国を
  われら愛す
と始まる「われら愛す」。これは、「洋酒の壽屋(後のサントリー)は、講和条約発効一周年を記念して1953年(昭和28年)1月、大々的に新国民歌を募った」(生井弘明著『われら愛す ? 憲法の心を歌った“幻の国歌”』)ものでした。フランスの愛国歌「ラ・マルセイエーズ」のような歌を作りたいという、佐治敬三の提案によるものでした。
この入選1編に、芳賀秀次郎先生の「われら愛す」が選ばれたのでした。大々的な発表会の後、壽屋鳥井社長は「巨費を惜しむことなく投じて」この歌の普及宣伝に力を入れたのですが、数年後には忘れ去られていったのでした。
今再びよみがえった「われら愛す」を聞きながら(上掲書にはCDがついている)、芳賀先生の詩の言葉を考えています。わたしたちは、だれにいわれるまでもなく、「この国を われら愛す」なのに、と。

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