「毛涯章平随想集」を読んで
2016.11.25
初雪や 水仙の葉の たはむまで (松尾芭蕉)
季節は巡り、ここ山形の地も冬を迎える頃となりました。一月前の10月下旬は季節外れの暖かさで、最高気温24.3℃を記録しました。9月下旬から10月上旬頃の陽気です。ところが、11月に入って天気は安定せず、9日には、山形市内でも初雪を観測しました。昨年よりも3週間近く早いです。昨日は、東京では観測史上初の11月中の積雪を観測しています。全国的に寒い日が続いたり、暖かい日が続いたりと、まさに三寒四温の日和です。
10月末に、全日本地方教育出版協議会の仲間である信州教育出版社から「毛涯章平(けがいしょうへい)随想集」の寄贈がありました。先生は、長野県では知らない人はいないくらいご高名の方でいらっしゃるそうですが、恥ずかしながらこれまで存じ上げない方でした。しかし、随想集のはしがきに掲載されている「わが教師十戒」は広く教育界に知られている至言です。
三部作になる随想はどれも心に響く名文ばかりです。その中の一つ「日本男児のつめ」を読んで、思い出したことが二つあります。「日本男児のつめ」は、おおよそ次のような内容です。
「自分の人差し指のつめは、真ん中を縦に盛り上がったひだが通っていて、先がわれやすい。時には深く割れて痛くなる。それは、少年の頃、家で飼っていたウサギのえさであるクズの葉を刈っていたとき、誤って指先を傷つけてしまったことによるものである。手当てをしてくれた母からは『大丈夫、日本男児だもの』と、繰り返し励まされ、自分も『日本男児だもの、痛いもんか』と言い聞かせた」というものです。
毛涯先生のように、『日本男児だもの、痛いもんか』という高尚な思いには到底なれませんが、昔、同じような体験をしたことを二つ思い出しました。
一つは、思い出したというより、忘れられない痛い思い出です。中学校3年生の技術の学習で木工加工の制作をしていた時のことです。誤って左人差し指を旋盤の回転する刃の中に入れて、指先を欠損するけがを負いました。噴き出す血と鋭い痛みで呆然としていたとき、技術の担当の教師からは「大丈夫か」の前に、「あれほど注意したのに、何やってんだ」と怒られました。保健室で応急措置をしてもらった後、近くの医者で手当てを受け学校に戻ると、担任の教師から「おまえは落ち着きないから、こういうことになるんだ」と、また叱られました。けがをした指先はずきんすきんと激しく痛むうえに、怒られっぱなしで、まさに踏んだり蹴ったりです。唯一、クラスの友達が「大丈夫か」と心配してくれました。
今でも左の指は右より5㎜ぐらい短いです。指の腹が欠損したので、音楽の時間、ピアノ伴奏をする時はつめで鍵盤をたたいていたものです。
毛涯先生のように、「日本男児だもの、痛いもんか」と、高尚な思いよりも先に、素直に「痛い!」という激痛と、「人が痛がってるのに、なんで怒られるんだ」という悔しさのような感情が入り交じっていたことが思い起こされます。
そういう自分も担任をしていた時、同じような出来事がありました。二つめの思い出です。
小学校5年生の担任として少年自然の家に二泊三日の自然体験学習を引率した時のことです。閉所式も済み、帰りのバスが来るまで遊具で遊んでいたOという男の子が、遊具から転げ落ち手首をひねってしまいました。わずかな高さでしたが、手の付け所が悪かったのか、手首の骨折でした。痛がっている子どもへの言葉が、「どうした、O」の後の「あれほど注意しろと言ったのに、何やってんだ」でした。まさに、自分が中学生の時に先生から掛けられた言葉そのものです。
今思うと、恥ずかしい限りです。たぶん、学年主任として120人の子ども達を無事けがなく帰校させることができるという安堵感が、一瞬に吹き飛んでしまったことのへ悔しさのようなものがあったと思います。しかし、教師という立場、担任としての立場から考えれば失格です。「Oには悪いことをしてしまったな」。今でも悔やまれてなりません。Oはその後、同級会で会った時、けがをした時の話を笑いながら語ってくれましたが、自責の念に駆られるばかりでした。
自分の教員生活をふり返ると、後悔ばかりです。指先も心もちょっぴり痛みを感じながら、いただいた本を読んだところです。(2016.11.25)