社長ブログ

大人になることは、ときめきや憧れがなくなること?

2018.07.30

 一点の 偽りもなく 青田あり (西東三鬼)
冒頭の俳句の「青田(あおた)」のほかにも、「青田風(あおたかぜ)」「青田波(あおたなみ)」「青田面(あおたのも)」といった季語がありました。田圃の稲が青々と成長している様子です。素敵な言葉だと思います。暑い夏空の下、青々とした稲が風に吹かれる光景には一服の涼を感じます。
001%20%28230x130%29.jpg今年は空梅雨じゃないかと思えるほど雨が少ない6、7月でした。梅雨が明けたと言われても、もう6月初めから乾燥した暑い日が続いています。しかし、西日本では7月初めの豪雨で220名以上の方々が亡くなっています。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。(ちょうどその時、某首相も東京は「赤坂自民亭」やらで宴会を楽しんでいたそうですが…)
さて、当方もちょうどその時、私用で東京に行っていました。東京まで3時間弱の旅です。「東京に行ってくる」と言うと、昔はステータスの高さを感じるものがありました。吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』の気分です。中学校の修学旅行でディーゼルカーに乗って、初めて東京に行った時は東京のすべてに感激しました。まさしく、「おのぼりさん」そのものです。列車も「おもいで号」という名前で、昭和を感じさせるものでした。東京まで6~7時間ぐらいの旅でした。その時はそれほど長いとは感じませんでしたが、今の倍の時間です。それを考えれば、山形新幹線はミニ新幹線といえども快適です。
便利になったとはいえ、今は昔胸ときめかせたほどの東京への憧れは、もうそれほどありません。「また、東京か」といった感じです。
「マイ・ペース」というフォークソンググループの歌に『東京』があります。サビの部分の「東京へはもう何度も行きましたね 君の住む美し都 東京へはもう何度も行きましたね 君が咲く 花の都」は秀逸だと思います。「『美し都』『花の都』東京」。この頃、そんな東京への憧れもなくなってきている自分が寂しく感じられます。
大人になること、便利になることは、距離感が縮まること、ときめきや憧れがなくなることじゃないかなと思います。幼い時分、家族で七日町に行くことが楽しみでした。バスに揺られてわずか30分ぐらいの距離でしたが、ずいぶんと遠く感じられたものです。修学旅行で松島や福島に行くことは異国に行ったような気分でした。でも今は、車で1時間の距離でも短く感じます。中高の時、自転車であっちこっちと遠出をしました。山形って広いなと思いました。通行人も多く、街全体に活気がありました。今は、寂しい町だなと思うほど小さく感じます。
現実には、昔も今も距離も広さも変わりはしません。自分の気持ち、心の問題なのでしょう。遠いところ、なかなか近づけない存在に人はときめき、憧れを抱くのではないでしょうか。いろんなことに憧れを持つことがなくなってきたことがちょっと悲しいです。大人になったからというより、年を取ったからなのかなと考えてしまいます。
002%20%28230x130%29.jpgところで、東京銀座のホテルの部屋から田圃が見えました。驚きました。田圃と行っても、隣のビル屋上の一枚の田で稲作をしている光景です。しかし、驚きました。「東京の中心地銀座のど真ん中に田圃か!」数十m先には歌舞伎座が見えるではありませんか。しばらく、見入ってしまいました。
ときめきや憧れはだんだんとなくなってきても、新しい発見はあるものです。そんな小さなことを大事にしたいなと思います。
「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」の芭蕉の心とは違うかもしれませんが、今年も憧れだった東京に立ち寄ることができたという思いで帰形したところです。(2018.7.30)

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