盛岡に「光原社」を訪ねる
2018.09.26
響爽か いただきますと いふ言葉 (中村草田男)
この句、季語は「爽か」です。「爽やか」とは、もともとはさらりと乾いた秋風が吹くことをいい、その風に包まれるときの感じをいうようになり、さらに秋のここちよい気分をいうようになったそうです。「さわやかな春」や「さわやかな夏」と言うのは本来は間違いで、「うららかな春」、「清々しい夏」とつかうべきだそうです。あくまでも俳句の世界ですが…。
今月中旬、爽やかな秋空のもと、大学時代の友人4人と盛岡市内の観光を楽しんできました。毎年恒例になっている旅行は、大学卒業以来40年以上続いているものです。旅行といっても、観光だけが目的ではありません。あくまでも、情報交換と親睦が目的です。現職の頃は、かなり議論もしました。校長職になれば、互いの経営方針、経営姿勢について激しく論じ合ったものです。退職した今も気持ちは学生時代、常に楽しく、時に激しく、最後は笑っておしまいです。
さて、今回は盛岡在住者が企画した盛岡市内の歴史研修となりました。盛岡市内には数多くの名所旧跡があります。さすがに、鎌倉時代から明治維新まで700年間も盛岡藩を領有し続けた大名南部氏の歴史を感じます。
その中の一つに「光原社」本店があります。「光原社」とは、宮沢賢治が生前唯一の童話集「注文の多い料理店」を発刊した出版社です。「光原社」というすてきな社名も賢治の名付けです。現在は、南部鉄器や漆器の郷土民芸品のほか、国内外の工芸品を取り扱っています。
「いーはとーぶアベニュー材木町通り」にたたずむ蔵造りの店は、なかなかの趣があります。賢治の資料館が建つ中庭には紅葉や竹が茂り、一服の涼を感じさせます。また、同じ中庭にある「可否館」ではおいしいコーヒーをいただけます。
賢治は多くの詩や童話を残しています。どれも賢治の世界観があふれた作品ばかりです。好きな作品をあげるとすれば、「グスコーブドリの伝記」です。冷害に苦しむイーハトーブの農民たちを救うために自分の命を犠牲にする技師、ブドリの話です。挿絵は、当時は無名だった棟方志功です。
その中に次のような一節があります。
「人はやるだけのことはやるべきである。けれどもどうしてももうできないときは、おちついてわらっていなければならん。落ちつき給え。」
家ではいつも、「せかせかしないで、おちついて!」と言われている身です。やるべきことはしっかりとやって、後は腹をくくって笑って待つ、いわば「人事を尽くして天命を待つ」あるいは「泰然自若」、そんな生き方の構えを大切にしたいですね。(2018.9.26)