東京タワーは元気に立っていました
2019.07.25
秋天に 東京タワーといふ背骨 (大高翔)
先月25日に気象庁が発表した3ヶ月予報によると、7月の北日本はエルニーニョ現象の影響で特に雨が多く気温も低いとされました。それを聞いて頭をよぎったのが、平成5年(1993)の平成米騒動です。今から26年も前の出来事ですが、あの時の騒動はよく覚えています。
その年、梅雨前線が長期間日本に停滞し、日照不足と長雨の影響で米の収穫量が著しく下がり、作況指数は「74」という異常な事態となりました。全国の米不足と価格高騰は深刻で、タイや中国、アメリカから、いわゆる「外米」を緊急輸入しました。
宮城の友人が「山形はまだいいほうだろう」と、家族と車で米の買い出しに来ました。10kgの米を4袋ばかり積んで、うれしそうに帰っていきました。一人で4袋は買えないので、手分けして買った記憶があります。お陰で生きながらえたとまでは言われなくとも、大いに感謝された覚えがあります。
長期予報を聞いて、そのことを思い出しました。予報どおり、東京の7月の日照時間は平年の1割、気温も低く肌寒い毎日だそうです。『喉元過ぎれば熱さ忘るる』『天災は忘れた頃にやってくる』。米の備蓄まではいかなくても、日頃から『備えあれば憂いなし』の意識が大切ですね。
さて、今月初めに私用で東京に行きました。新幹線を降りたとたん、蒸し暑い空気がまとわりつく思いがしました。どんよりとした空と粘り着く湿気を含んだ空気は、まさに梅雨を感じさせます。
用事が済んだ後、時間があったので東京タワーに行ってきました。東京タワーは、今年で竣工61年目を迎えたそうです。自分の年齢とさほど変わりありません(ちょっとサバを読んでいます)。
東京タワーまでの交通アクセスはよくありません。地下鉄三田線で芝公園駅まで行き、公園の反対側まで15分近く歩かなくてはいけません。蒸し暑い中、荷物を持っての歩きはかなり疲れます。しかも、近道をしようと芝公園を斜めに進んだら小高い丘に遮られ、階段を登り降りしたら余計に時間がかかってしまいました(この丘、「芝丸山古墳」という東京都の指定遺跡だそうです。びっくり!)。
ようやくたどり着いた東京タワーは、寂しいぐらい人がいません。アジア系の外国人と老人クラブのお年寄り、10名ぐらいの修学旅行の中学生。ガラガラです。1階にあるレストランも50人ほどしかいませんでした。現代では、高さ333メートルに魅力を感じないのかもしれません。展望台から下に見える景色にもそれほど感動はありません。夢や憧れは、高ければ高いほど魅力的なのと同じなんでしょうね。上の展望台まで登れば印象も別なのでしょうが、見学料金が2,800円となると二の足を踏んでしまいます。
どんよりと雲に覆われた空の下の景色は、灰色にかすんでよどんでいます。ここに来たのは今から50年前、中学校の修学旅行の時だったな。あの時は夜の見学で夜景がきれいだった。瀬戸物でできたタワーのお土産を買ったな。そんな記憶がよみがえりました。よどんだ景色に「昭和」を感じました。スカイツリーが「平成」なら、東京タワーはやっぱり「昭和」です。
懐かしさとともに東京タワーを後にしました。見納めに振りかえると、東京タワーは50年前と変わらず、凜としてそこに立っていました。それに負けじと、自分も足取り軽く見せながら帰り道につきました。どれ、明日からまたがんばらねば。(2019.7.25)