社長ブログ

『解体新書』と『冬の鷹』

2019.09.25

 コスモスの 花ゆれて来て 唇に (星野立子)
「秋分」です。めっぽう日が短くなりました。夕方5時を過ぎるともう暗くなってきます。1ヶ月前、酷暑だった今夏のうだるような暑さを思い出すと、爽やかで澄み切った空がものすごく気持ちよく感じられます。
0010925%20%28220x165%29.jpgさて、先月のブログの続きで恐縮です。山形市郷土館にたくさんの医学資料が展示されていますが、なかでも極めて貴重な資料が『解体新書』です。『解体新書』はオランダの解剖学訳書『ターヘル・アナトミア』の和訳本で、江戸中期1774年に刊行されました。日本の近代化の先駆けとなった本と言っても過言ではないと思います。小学校の社会科でも学習する、誰もが知っている話です。
一般に、訳者は「杉田玄白」と言われます。「解体新書=杉田玄白」と習います。しかし、困難を極めた翻訳作業を支えたもう一人の人物に「前野良沢」がいます。翻訳作業の中心人物だった前野良沢の著者としての名前は解体新書にはありません。4年という歳月と、玄白が「櫂(かい)や舵の無い船で大海に乗り出したよう」と、辞書のない翻訳作業のたいへんな苦労をともにした良沢の名前がなぜないのか、そのいきさつを著した小説に吉村昭の『冬の鷹』があります。
この本は、40年ほど前に読みました。私のおすすめの一冊のようなタイトルの本に、あるアナウンサーがぜひとも読むべきだと書いてあったので、さっそく買い寄せ読んだものです。
吉村の玄白像は、積極的で社交的、何事にも果敢に挑戦するアクティブな人間として描かれています。それに対して、良沢は沈思黙考型で石橋を何回もたたいてようやく渡る寡黙な人間として描いています。二人の出会いから確執、そして別れが相反する性格をとおして見事に描写されています。
『解体新書』に良沢の名前がないのは、医学発展の名の下に、己の名声のため早く出版したい玄白と、翻訳未完成のままでは出版できないという完璧主義者の良沢との対立があったからです。
0020925%20%28220x124%29.jpg『冬の鷹』は、読むべきだと薦めたアナウンサーが言ったとおり、自分の心に残る一冊となりました。子どもの頃から目立つことが嫌いで引っ込み思案、先生からは学校ではいつもおとなしいだけではダメだ、少しは積極的にやりなさいと言われ続けてきました。それがコンプレックスでもあった自分にとって、『冬の鷹』が描く「前野良沢」の生き方は大きな心の支えとなりました。
人にはそれぞれ個性があります。饒舌でリーダーシップを発揮することも個性です。寡黙で口べたなことも個性です。個性を単に長所・短所と決めつけてしまうのはどうかと思います。
障碍(しょうがい)の有無によって学ぶ場所が分けられるのではなく、一人ひとりそれぞれの子どもの能力や困りごとが考慮された「インクルーシブ教育」が推進されて10年近くになりました。障碍だけでなく、その人が持つ個性もきちんと認め、受け止めることが大切なことじゃないかと思います。
人には、群れの先頭に立つ雄ライオンのような者もいれば、降りしきる雪の中に一羽たたずむ孤高の鷹のような者もいるのです。人はそれぞれ、千差万別、千姿万態、十人十色ですね。(2019.9.25)

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