社長ブログ

3.11 あれから10年

2021.03.11

3月11日。早いもので、もう10年経ちます。
しかし、10年経っても、あの日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えています。
DSC_0160copy.JPGあの日、自然の力の前に、人間の力は本当にちっぽけで、なんて無力なんだということを思い知らされました。科学や技術の進歩により、高性能な、最先端の製品に囲まれた生活にドップリ浸かり、自然さえもアンダーコントロールと言い切ってしまうほど、傲慢になってしまった人間の「うぬぼれ」は一瞬にして砕かれました。
大げさかもしれませんが、この震災は、「私の今までの生き方って何だったんだろう」「人間にとって本当に大事なものは何なんだろう」と自分に問いかけるきっかけになりました。というよりは、震災が「問い返せ!」と強制的に自分にそうさせたと言った方が適切なのかもしれません。
震災前は、自分では気づかなかったし、気づこうともしなかった、かなり自己中心的で、うまくいかないことがあると、ストレスを感じ、イライラし、自分以外に原因を求める生き方。
そんな私が、震災の時、痛烈に感じたのは、「生きていることへの感謝」「家族というかけがえのない存在」「見知らぬ者同士でも、声をかけ、助け合うことの温かさ」等々。
DSC_0161copy.JPG一つの例ですが、震災発生後、東日本で電力が不足していたため、計画停電をしながら、みんなで電力を分け合おうという方針が出されました。あの時は、「一日数時間の停電なら、我慢して当然。みんなで助け合わねば!」と計画停電に協力するのは当たり前という気持ちでした。
今はどうでしょう。震災当時の大変な状況にはないので同じ条件ではないのですが、わずかの時間の停電でも、「こんな時に停電かよ~」と不満を持ってしまいます。誰かが意図的に停電を引き起こしているわけではないし、荒天の中、復旧作業に全力で取り組んでいる電力会社の方がいるにもかかわらず、震災当時の譲り合いの気持ちは、どこかにすっ飛んでいます。
震災当時の方が、なぜか優しい気持ちになれました。みんなで助け合おうという気持ちにあふれていました。イライラすることも少なかった様な気がします。
現在の、不自由のない安定した生活の方が、優しさや助け合いの気持ちが小さくなり、自己中心のエゴやストレスやイライラを抱える部分が大きくなっているような気がします。
今、改めて思うのは、今後10年経っても20年経っても、「震災の記憶」は当然、「あの時感じた気持ち」も忘れてはいけないということです。
※写真は、私が震災復興ボランティアに行った宮城県亘理町の海岸の様子。(現在、コロナで県外への移動自粛中のため、2018年6月25日撮影の少々古い写真)。海岸線に新たに作られた防潮堤の上から、南側に続く「防潮堤」と『鳥の海(海とつながっている汽水湖)』に続く「整備された水路」付近です。

« 社長ブログ 一覧 »