社長ブログ

旧国立競技場の思い出 その1

2021.07.15

新型コロナで1年間延期になった「東京2020オリンピック」の開幕まで、あと8日。
フランスのマラシネアヌ・スポーツ担当大臣が、東京大会の無観客開催に寄せたコメント「われわれはまだウイルスとの闘いには打ち勝っておらず…」に代表されるように、世界的に新型コロナが封じ込められていない中、開催中止や再延期を求める声が多いにも関わらず、強行されるオリンピックは平和の祭典というイメージからはほど遠い感じがします。
【オリンピック=平和の祭典について一言】
オリンピックは「参加することに意義がある」という言葉があります。時は1908年のロンドンオリンピック。綱引き競技において、勝ったイギリスと負けたアメリカがルールをめぐって険悪な状態になっていました。この時、アメリカ選手団に同行していたペンシルベニア大司教のエチュルバート・タルボットがアメリカ選手団を前にしたミサの場で 「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」「参加することに意義がある」というメッセージを発しました。
この言葉に感銘した当時のIOC会長で近代オリンピックの父=クーベルタン男爵は、その後開催された晩餐会で、この言葉を引用し「人生で重要なのは、成功することではなく、努力することです。大切なのは、勝利したかどうかではなく、よく闘ったかどうかなのです」と付け加えました。
この趣旨に従い、長い間、オリンピックは金もうけとは一切関係のないアマチュアリズムを掲げて開催され、その崇高な精神から、平和の祭典というイメージが定着しました。
DSC_1160copy.JPGこのオリンピックが様変わりしたのは、1984年のロサンゼルス大会からだと思います。それまでのオリンピックは、開催都市や国が多額の費用を税金でまかなう「国力を示すイベント」でした。しかし、ロサンゼルス大会のユベロス大会会長は、常識を越える巨額のテレビ放映権料や高額のスポンサー協賛金を得る仕組みを作り、大赤字が常識のオリンピックで、税金を1円も使わず、400億円の黒字を出したのです。ここから、「平和の祭典」のイメージを商品とした、ビッグマネーが動く、今の興行的な「儲かるオリンピック」が始まりました。また、この大会から、プロ選手の出場が認められ、現在の興行的なオリンピックに拍車をかけるきっかけとなり、アマチュアと思いきや、実は多額のスポンサー料をもらっている選手が存在する流れにつながっています。
旧国立競技場の思い出を述べるはずが余計なことを書いてしまいました。ついでに…。オリンピックに関して、あおるような日本のマスコミの報道の仕方もどうかなと思います。「メダル」「メダル」と騒ぎ立て、「金メダル候補」や「メダル確実」など「メダルを取ることだけ」に価値があるような「やたら元気全開」の報道を見て、クーベルタン男爵はどう思うでしょうか。
またまた余計なことを書いているうちに、旧国立競技場の思い出を書くスペースがなくなってしまいました。申し訳ないのですが、次回に集中的に述べたいと思います。
(写真:7月11日NDソフトスタジアム。モンテVS松本山雅の試合後に打ち上げられた花火)

« 社長ブログ 一覧 »