包摂性を考える ~ デジタルとアナログ ~
2024.07.18
何年前になるでしょうか…。
勤務していた小学校の全校朝会でこんな話をしました。
みなさんは「デジタルとかアナログ」という言葉を聞いたことがありますか。
「デジタル」と聞いてイメージするのは、数字で時刻が表される時計などでしょうか。実は、時計そのものやその時刻を「デジタル」というのではなく、時刻を表している数字の「0、1、2、3…」というような「飛び飛びの値しかない量」のことを「デジタル」と言います。0と1の間に何もない、1と2の間にも何もない、そう言う「飛び飛び」の量です。したがって、つながっていない、ぼつぼつ切れている量になります。
その反対に、「アナログ」というのは、つながっている量のことです。コップに水を入れていくと少しずつ増えていきますよね。つながって増えていきます。そう言う量のことを「アナログ」と言います。もう一つ例にしてみましょう。温度計を思い浮かべてください。温度も少しずつ上がったり下がったりしますね。つながって上がったり下がったりします。ですから、温度も「アナログ」です。0と1の間が切れずにぎっしりつまってつながっています。1と2の間も切れずにぎっしりつまってつながっています。そういうイメージです。
どちらも大切な量ですし、どちらも、ものを見る時の大事な見方・考え方です。
ここで、私たちの学校でのくらしのことを考えてみましょう。「できた・できない」とか「好き・嫌い」というように、単純に「1か0か」のデジタルで決めてしまうのか、それとも「1まで行かないけれど0ではなく、半分より少しできたよ」とか「大好きまではいかないけど90%くらい好き、もう少しこうなると大好きになれそう」とかというようなつながりを意識したアナログで考えるのか、大きな分かれ道になると、校長先生は考えています。私たちの成長は、決して「デジタル」ではありません。つながって、つながって、少しずつ、少しずつ成長・発達していきます。ですから、自分を見つめる時、単純に「0か1」のデジタルの世界で見るのではなく、つながって少しずつ成長しているかけがえのない存在として「アナログ」的に見てほしいのです。自分をそう見られれば、友だちもかけがえのない存在として「アナログ」的に見えてきます。ここが大切です。まず自分をしっかり見つめる。そして、その見方で、友だちを見つめていく。そうすれば、よりよい「くらし」が生まれてきます。…
今、報道で知る一面かもしれませんが、一方的であったり、攻撃的であったり、暴力的であったり、排除的であったりと、周りに優しくない風潮を強く感じます。ネットでは人格否定につながる論破が持てはやされ、切り捨てと分断を煽るポストが多く目につくようになりました。まずは、自分を振り返ること、見つめ直すことが先のような気がしてなりません。同時に建設的なコミュニケーションを心がける姿勢を持ち続けること、言い合う関係ではなく「聴き合う関係」を大切にすることを意識して「くらし」を創っていきたいと願うこの頃です。
子曰く「其れ恕か。己の欲せざるところ、人に施すこと勿かれ。」(論語‐衛霊公)<令和6年7月18日 NO.9>