社長ブログ

あれから30年  ~ 根底に持続可能性の視点 ~

2025.01.21

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。
 当時、私は勤務学校に籍を置きながら山形大学大学院教育学研究科に在学し研修を受けておりました。関西方面から来ている学生もおり、生々しい話を聞いて人ごとではなかったことを思い出します。震度7の地震によって多くの家が倒壊し多くの命が失われました。生活基盤は一夜にして失われ、都市機能が麻痺しました。被災地の人々は避難所で不自由な生活を強いられました。報道で知る限りでしたが、ボランティアも含め被災地に赴くことさえも、かなりの時間がかかっていたのを記憶しています。そして、山形も含め、日本全体が深い悲しみに包まれたのを覚えています。

 あれから30年。
 先日、NHKスペシャル『映像記録 阪神・淡路大震災』を見て、あの頃の記憶がよみがえってきました。NHKに残っている1万本のアーカイブス映像を再検証し、「“あの日”から日本の防災は何が変わり、何が課題として残されているのか」をテーマにした番組でした。再び大地震が起きたとき私たちは何ができるのか、命を救うためのヒントを与えてくれたように思います。
 阪神淡路大震災以後も、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震など、複数の震災が発生しました。これらの震災でも多くの教訓が得られ、防災対策がさらに進化してきたと思います。例えば、緊急地震速報システムが整備され、地震発生時に早期の警報が発せられるようになりました。これにより、少しでも多くの人々が迅速に避難行動をとれる可能性が広がりました。また、SNSやインターネットを活用した情報共有も進んでおり、災害時の情報収集や支援活動が効率化されています。東日本大震災後には、津波の高さや範囲を予測するシステムの開発が進められましたし、震災時の避難行動を分析することで、効果的な避難指導が可能になりました。建物の耐震性の重要性が認識され、建築基準法の改正も行われました。加えて、防災意識の向上が求められ、地域住民の間で防災訓練が頻繁に行われるようになりました。また、各家庭では防災用品を常備し、災害時の対応策を家族で話し合うことが一般的になりました。行政の支援やボランティア活動の重要性も改めて認識されました。迅速な避難誘導、物資の配給や医療サポートなど、支援体制の充実も図られました。また、震災後の復興には地域の結束とコミュニティの力が不可欠であることが再認識され、防災に対する新たな視点として、「自助」「共助」「公助」がバランス良く機能することが重要であるとされました。たくさんの教訓から、震災時には迅速かつ効果的な対応がより可能になったと思います。

 にもかかわらず、昨年2024年の元旦に起きた能登半島地震では、復旧・復興がなかなか進まないと言います。その背景や課題は一体どんなところにあるのでしょうか。

 様々な要因があると指摘されていますが、一番大きいのは地形的な問題と幹線道路の寸断、水道インフラの脆弱性、耐震に弱い建物の割合が非常に大きかったという点にありそうです。地形的な問題では、突き出した半島の山の斜面の崩落や道路崩壊といった土砂災害が多発し、上流の浄水場から配水池を結ぶ管路までも被害を受けました。主要な幹線道路はおよそ9割が復旧したといいますが、まだ片側通行の場所が多く、各地で渋滞が頻発。復興に欠かせない砂や石、水道インフラ修理などの資材の運搬を妨げる大きな原因となっているとういことです。水道や道路などのインフラは生活の根源的な支えになっており、あまりにも日常的で意識の外にあるため、その大切さや重要性は、寸断されて初めて実感を伴うものになったのかもしれません。事前に防災のためのインフラ強靱化の視点があれば、改善できていたことかもしれないと思うと胸が痛みます。やはり、直観的であってもあらゆる視点から想定内にしておくことが望まれます。これからは、コロナ禍で学んだ「当たり前が幸せ」「凡事徹底」「原点回帰」の視点を含めて、各種インフラの持続可能性をしっかり意識してゆくことが必要なのではないでしょうか。また、学問や学術調査も非常に重要だと思います。地震のメカニズムを解明する地震学や、地盤の特性を研究する土木工学、災害リスクを評価する防災科学など、様々な分野の研究が震災対応に役立っています。
 未来に向けて、私たちは引き続き防災対策を強化し、想定外の事態にも柔軟に対応できる持続可能な社会を目指さなければなりません。災害が再び訪れることを避けられないからこそ、過去から学び、地域のつながりを大切にしながら注意深く準備を進めていかなければならないと強く感じます。そして、震災で経験した悲しみや教訓を忘れず、今日この瞬間も安全であることに感謝し続けたいと思います。<令和7年1月21日 NO.21>

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