「遊び」の文化 ~ 小さな文化に学ぶ⑥ ~
2025.10.24
「遊び」という言葉に、どこか懐かしさを感じます。
子どもの頃は、遊ぶことが日常の中心にありました。けれど大人になるにつれ、遊びは“余暇”や“娯楽”という枠に押し込められていくようです。
「遊び」とは何でしょうか。
子どもの遊戯、スポーツ、ゲーム、芸術、祭り、趣味、余暇活動…。私たちの生活のあらゆる場面に「遊び」は存在し、時に無意識のうちに私たちの行動や思考を形づくっています。実は、「遊び」は単なる余暇や娯楽ではなく、それ自体が文化であり、人間の成長、社会の形成、そして創造の源泉としての役割を担っています。
「遊び」という言葉は、古語「遊ぶ(あそぶ)」に由来します。奈良時代や平安時代には、「遊ぶ」は神に仕える巫女が神楽を舞い、神事に参加することを意味していました。つまり、遊びは神聖な儀式の一部であり、宗教的・芸術的な営みだったのです。時代が進むにつれて、「遊ぶ」は「楽しむ」「気晴らしをする」「旅をする」といった意味を持つようになり、現代では「楽しみのためにする行動」「仕事や義務から解放された自由な活動」として理解されています。辞書にも、「遊び」とは「娯楽や気晴らしのための行動」「余暇を過ごすための活動」と記されています。しかし、こうした定義の背後には、遊びが人間の精神活動や文化的表現と深く結びついているという事実が隠れています。
子どもにとって、遊びは単なる楽しみではなく、世界を理解し、自分を表現し、他者と関わるための「仕事」です。公園で遊ぶ孫の姿を眺めていると、その動きには目的があるようで、でも自由でもあります。砂を掘ったり、木に登ったり、ダンゴムシを見つけたり、ありの巣を掘り返してみたり、ルールを作っては壊してみたり…。その繰り返しの中で、さまざまな世界と出会い、自分を育てているように見えます。身体を動かす遊びは運動能力や空間認識を育み、積み木やパズルは論理的思考を促します。ごっこ遊びやロールプレイは、社会的なルールや感情のやりとりを学ぶ場でもあります。心理学者のピアジェは、遊びを通じて子どもは認知能力を発達させると述べました。また、遊びは失敗を恐れずに挑戦する機会を与え、創造性や自己効力感を高める効果もあります。また、言葉遊びや昔話、詩歌なども、遊び心に満ちた文化的資産です。遊びは、想像力を刺激し、物語を紡ぎ、言語を豊かにする力を持っています。芸術、音楽、舞踊、演劇、文学など、あらゆる文化的表現は、遊び心から生まれたと言っても過言ではないかもしれません。
「遊び」は、社会生活においても重要な役割を果たします。例えば、車のハンドルには「遊び(あそび)」が設けられています。これは、操作に対する余裕を持たせることで、急激な動きや誤操作を防ぐための仕組みです。人間関係や組織運営においても、すべてを厳密に制御しようとすると、かえって摩擦やストレスが生じます。少しの「遊び」や「余白」があることで、寛容さや創造性が生まれ、持続可能な関係性が築かれるのです。このように、「遊び」は物理的なゆとりであると同時に、心理的・社会的な柔軟性をも象徴しています。
こう考えてくると、「遊び」は、成長、教育、文化、社会のあらゆる場面に深く根ざした営みということができそうです。単なる余暇や気晴らしではなく、人間らしさを支える根源的な力であり、創造とつながりの源泉でもあります。
私たちが「遊び」を大切にすることは、文化を育て、未来を豊かにすることにつながります。忙しさに追われる現代だからこそ、意識的に「遊び」を取り戻し、その価値を再発見することが求められているのではないでしょうか。<令和7年10月24日 NO.39>