社長ブログ

万国博覧会  ~ EXPO2025が閉幕 ~

2025.11.06

 「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした「大阪・関西万博2025」が閉幕しました。
 来場者数は半年間で約2,600万人。世界の文化と技術を結びつける場として大きな役割を果たしたのではないでしょうか。是非、あの「大屋根リング」を歩いたり、話題のパビリオンに行ってみたいと思っていましたが、夢は叶いませんでした。…無念。

 夢洲という人工島に会場が決まったとき、多くの人が「本当に間に合うのだろうか」と不安を抱きました。建設の遅れや予算の議論もありました。でも、何とか開幕にこぎ着けました。約160の国と地域、企業や団体が参加し、それぞれが独自のビジョンをパビリオンで表現しました。
 マスコミ報道や動画、SNS、ガイド本やホームページ等の映像や情報しかありませんが、数あるパビリオンの中で、特に興味を引かれたのは日本館でした。医療や環境技術の展示は未来的でありながら、人間の「いのち」を中心に据えていました。単なるテクノロジーの誇示ではなく、「人を幸せにするための技術」という視点が強く伝わってきました。また、フランス館の芸術とサステナビリティの融合も印象的でした。環境問題を考える内容は、理屈ではなく感覚として「持続可能性の大切さ」を刻み込んでくれました。また、インドネシアパビリオンでの、あの耳に残るユーモラスな「よ・や・く・な・し・で・す・ぐ・は・い・れ・る!」のキャッチフレーズとそのリズムやダンスも記憶に残りました。

 万国博覧会は1851年のロンドン万博から始まり、電話やテレビ、インターネットなど、時代を変える技術を世界に紹介してきました。日本にとっては1970年の大阪万博が象徴的です。当時、私は小学生でした。三波春夫の「世界の国からこんにちは(万博テーマ曲)」や「太陽の塔」が深く記憶に刻まれています。太陽の塔の前で人々が未来を夢見たあの時代から半世紀です。進歩と調和を掲げた1970年から、いのちと持続可能性を掲げた2025年へ。時代の変化を感じずにはいられません。また、懐かしい思い出では、1985年の筑波科学万博(EXPO’85)があります。初任校に勤めて2年目、職場の有志で研修旅行に出かけました。衝撃を受けたのは、忘れもしない「富士通パビリオン」の3D映像でした。王貞治選手?(記憶が定かではありません)の素振りしたバットが球面スクリーンから目の前まで飛び出てきたのです。思わず、身をよけた記憶があります。また、結合した分子やシャボン玉も手が届くくらいに次々と飛んでくるのです。もちろん実際には触れられないのですが、映像と現実の境界が曖昧になる感覚は衝撃的でした。その科学技術のすごさに感嘆しました。現在は、映画館での3Dは普通、すでに4Dまで進化していますが・・・。

 184日間の開催を経て、10月13日に閉幕イベントが行われました。
 「大阪・関西万博2025」は、文化交流の場であると同時に、技術と人間性の関係を問い直す場でもあったと思います。AIや宇宙開発、環境技術などの展示は、未来の可能性を示すものでしたが、それ以上に「人間のために技術はある」「持続可能な世界を構築するために技術がある」という視点が強調されていたことに価値があると思います。心が痛むのは、万博が開催されている間も戦争や紛争が起きていたことです。このたびの万博のテーマである「いのち輝く」を通じて、未来社会は技術だけではなく、「平和」を希求する文化をより以上に尊重する大切さを感じました。
 万博が投げかけた問いはこれからも続きます。持続可能な社会をどう築くか、国際的な協力をどう深めるか、そして技術開発をどう進めるか。これらは私たち一人ひとりが考え、行動していくべき課題です。未来は展示の中にあるのではなく、私たちの選択の中にあるのでしょう。
 これまでの万国博覧会の歴史がそうであったように、今回の経験もまた人類の進歩と調和を支える大きな一歩となったのではないでしょうか。閉幕の花火の火は、その想いを照らしていたように思います。<令和7年11月6日 NO.40>

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