社長ブログ

5月15日を忘れないために ~ 家族の記憶と沖縄返還日 ~

2026.05.15

 5月15日が近づくたび、ふと姉のことを思い出します。
 子どもの頃の私にとって、この日は「姉の誕生日」でした。今は亡き父母や祖父母とともに家族でケーキを囲み、「おめでとう」と声をかける、あたたかな一日です。
 けれど、少し成長してから、その日が「沖縄返還日」でもあることを知りました。

 1972年5月15日。
 戦後27年間、アメリカの統治下に置かれていた沖縄が、日本へ返還された日です。誕生日という個人的な記憶と、歴史の大きな出来事が重なっていることに、私は不思議な感覚を覚えました。家族にとっては祝福の日であり、一方で沖縄にとっては、長い歴史の節目となった日でもある。そのことが、幼い頃から心のどこかに残り続けていたように思います。もちろん、子どもの頃の私は、沖縄返還の意味を深く理解していたわけではありません。ただ、「沖縄は昔、アメリカだった時代があるらしい」という程度の認識でした。同じ日本なのに、日本ではなかった時代がある。そのこと自体が、当時の私にはうまく飲み込めなかったのです。そんな私が、実際に沖縄の地を訪れたのは、大学を卒業し、社会人になってからでした。県の主催する洋上大学に参加することになったことがきっかけでした。

 沖縄の青い海や空の美しさは、今でも鮮明に覚えています。
 けれど、その美しさに心を奪われれば奪われるほど、この島がかつて激しい戦場だったという事実が、胸に重く迫ってきました。洋上大学の仲間と一緒に資料を読み、当時の状況に触れる中で、言葉を失ったことを覚えています。若い学生たちが、戦争という極限状況の中に巻き込まれていった現実。未来があったはずの命が、次々と失われていった歴史。教科書で読むのと、実際にその場所に立つのとでは、受け止め方がまったく違いました。
 静かな空気の中で手を合わせながら、私は、「戦争」という言葉を、どこか遠い歴史として捉えていた自分に気づかされたように思います。沖縄の地に、山形県出身者の慰霊碑が建てられていることを、その時初めて知りました。遠く離れた沖縄の戦場で、多くの山形の若者たちが命を落としていた。その事実に、私は強い衝撃を受けました。沖縄戦は、決して「沖縄だけの歴史」ではない。全国それぞれの地域と人々の人生につながっている。そのことを、山形の塔の前で静かに考えていました。戦争は、一瞬で誰かの日常を奪ってしまいます。誕生日を祝うはずだった家族の時間も、帰りを待っていた人々の願いも、容赦なく断ち切ってしまいます。

 戦後、沖縄はアメリカ統治下に置かれ、日本本土とは異なる時間を歩むことになります。通貨も違う。パスポートも必要だった。本土復帰を願う声がある一方で、暮らしや安全保障への不安もあったはずです。1972年の返還は、多くの人々にとって悲願だったのでしょう。けれど、その日を迎えたからといって、すべての問題が解決したわけではありません。今もなお、沖縄には多くの米軍基地が集中しています。騒音問題、事故への不安、土地利用の問題など、沖縄の人々が抱えている負担は決して小さくありません。本土に暮らしていると、その現実を遠いものとして受け止めてしまいがちです。正直に言えば、私自身もそうでした。ニュースで見聞きしても、どこか「沖縄の問題」として捉えていた部分があったように思います。しかし、本当にそれで良いのだろうか、と最近は考えるようになりました。
 沖縄の基地問題は、日本全体の安全保障とも深く関わっています。つまり、沖縄だけの問題ではなく、私たち一人ひとりの問題でもあるはずです。それなのに、負担の多くを沖縄に背負わせ続けている現実があります。もちろん、安全保障をどう考えるかは簡単ではありません。理想だけでは守れない現実もあるのでしょう。だからこそ、この問題は難しいのだと思います。私は、簡単に「こうすべきだ」と言い切れるほど、この問題を理解できているわけではありません。けれど、少なくとも「知らないままでいてはいけない」と感じています。

 沖縄返還日を迎えるたびに思うのです。
 歴史を学ぶ意味は、単に過去を知ることではなく、今をどう生きるかを考えることなのだと。

 平和とは何か。本当の意味で「共に生きる」とはどういうことなのか。その答えを、私はまだはっきりと見つけられていません。<令和8年5月15日 NO.53>

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