社長ブログ

「あの日には見えなかったもの」 ~ 一期一会の途中 ~

2026.09.15

 先日、封切りされたばかりの東野圭吾原作の映画『白鳥とコウモリ』を観て来ました。
 人と人とのつながりや、家族の思い、過去から現在へと続いていく人生について考えさせられる作品でした。映画を観終わったあと、しばらくその余韻が残っていたのですが、なぜかふと、ずいぶん昔に観た映画のことを思い出しました。それが『フォレスト・ガンプ/一期一会』です。
 久しぶりに、もう一度『フォレスト・ガンプ/一期一会』を観てみました。若い頃に観たときとは、やはり見えるものが違います。映画そのものが変わったわけではありません。変わったのは、そこに重ねて観る自分の人生のほうなのでしょう。若い頃には気づかなかった場面に目が留まり、登場人物の言葉や生き方が、以前とは違った意味を持って心に入ってきます。

 人との出会いは、一度きりかもしれません。たとえ長く付き合うことになったとしても、今日という一日の、その人との時間は今日しかありません。そう考えると、出会った人との縁を大切にしたいという気持ちが自然に生まれてきます。これは若い頃から今まで、私の中で大きく変わっていません。むしろ、年齢を重ね、人との出会いや別れをいくつも経験してきたからこそ、その思いは少しずつ深くなってきたように思います。『フォレスト・ガンプ』を観ていて心に残ったのも、まさにそこでした。
 フォレストは、相手の肩書や立場を気にして人と付き合うわけではありません。自分にとって得になるかどうかを計算するわけでもありません。大切な人は大切な人として、その人とのつながりをまっすぐに受け止めています。友達であれば友達として、家族であれば家族として、その人を大切にする。そこには、私たちが大人になるにつれて身につけてしまうような、複雑な計算がありません。
 それが、とても純粋なのです。
 私たちは、いつの間にか人との関係にも、いろいろなことを考えるようになります。この人と付き合っておくといい、この人にはこうしたほうがいい、自分のことをどう思っているのだろう、こちらばかりが頑張っているのではないか…。もちろん、社会の中で生きていくためには、そうしたことを考えることも必要です。けれども、「一期一会」という言葉の根っこにあるものは、もっとシンプルなのではないでしょうか。相田みつをさんの言葉に、「そのときの出逢いが人生を根底から変えるときある、よき出逢いを」という一節があります。

 これまでを振り返ってみると、確かに人生には、出会いによって少しずつ方向を変えられてきたことがあります。何気ない会話が心に残ったり、ある人の一言に励まされたり、思いがけない縁から新しい世界が広がったりすることがあります。そして面白いのは、出会いというものは一方通行ではないということです。私が誰かとの出会いによって何かをもらうだけではありません。ひょっとすると、自分との出会いが、その人の人生のどこかに残っていることもあるのです。そう考えると、「よき出逢いを」という言葉は、単に「よい人に出会えますように」という意味だけではなく、「自分自身も、誰かにとってよき出会いでありたい」という願いにもつながっていくように思います。

 人生には、出会いがあれば別れもあります。ずっと一緒にいられる人ばかりではありません。いつの間にか会わなくなってしまう人もいますし、もう二度と会うことのできない人もいます。若い頃には、それが今ほど身近なことではありませんでした。けれども、年齢を重ねるにつれて、「人との出会いには限りがある」ということが、少しずつ実感として分かってきます。だからこそ、より一層「一期一会」を大切にしたいと思うのです。ただ、それは「人生は短いのだから、急いで今を楽しまなければならない」ということではありません。別れがあるからといって、残された時間を数えながら生きる必要もないと思います。むしろ逆です。いつか別れが来ることを知っているからこそ、今、目の前にいる人との時間を大切にしたい。ありがとうと思ったら、ありがとうと伝えたい。誰かの力になれるなら、できる範囲で力になりたい。そして、新しい出会いがあれば、「どんな人なのだろう」と素直な気持ちで向き合ってみたい。そんなふうに生きていけたらいいと思っています。

 これから先にも、まだまだ出会いがあるのだろうと思います。新しい人に出会い、新しい言葉に出会い、新しい景色に出会う。これまで知らなかったことを知り、時には思いがけない出来事に心を動かされる。今日という一日も、誰かとの一期一会の途中にあるのかもしれません。<令和8年9月15日 NO.61>

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