社長ブログ

答えが一つでない授業を増やすこと

2008.06.04

1ヶ月ほど前、5月2日のブログに「答え探し屋」を書きました。「そうだ、そうだ」という声をお聞きしました。そうしましたら、「そうだ、そうだ」のとても大きな声が聞こえてきました。6月2日付け山形新聞、「対話の力どう育てる」と題する平田オリザさんのインタビュー記事です。
平田さんは、まず、「現代の子どもはコミュニケーションが苦手、と多くの人が考えている」という記者の問いかけにきっぱりと言います。「子どものコミュニケーション能力が低下したと言われるが、そんなことはない。場が失われ、経験が足りないだけだ」
地域社会や家庭生活の変貌によりコミュニケーションの場が失われたこともあるけれど、平田さんがいちばん問題にしているのは学校、それも授業なのです。コミュニケーションの場を奪い、その経験を駄目にしているのは授業だというのです。
平田さんは対話劇の授業をしているのだそうですが、平田さんでもスムーズに進まないクラス、「そんなクラスでは子どもが授業している私の顔色をうかがっている。私が正しいセリフを持っていると思っているからだ」「日本の子どもには、先生が正解を下ろしてくる授業スタイルが染みついている」
対話力をつけることを狙いとしているフィンランドの教育を紹介しながら、「先生が与えた知識の歩留まりをチェックする日本と大きな違いだ。対話の場をつくるには、答えが一つでない授業を増やすことが必要だ」
そして最後に、「先生が一つの答えを隠しておいてそれを当てさせるやり方は子どもをコントロールしやすいだろうが、そうした学校文化を全面的に変えないと世界から取り残される」と、平田さん。
そこで思い出しました。今を去ること30年前、2年生の国語の授業。灰谷健次郎さんの『ろくべい まってろよ』。とってもおもしろい童話で、穴に落ちた子犬を助ける子どもたちの話。
長新太さんの挿絵が教科書にも載っていましたが、穴の中の「ろくべい」の絵と、穴の上の子どもたちの絵が交互に出てきます。私は考えました。穴の中の「ろくべい」の挿絵では、ふつうは「ろくべい」の気持ちを考えさせます。穴の上の子どもたちの挿絵では、子どもたちの気持ちを考えさせます。それでは答えは挿絵にあります。
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挿絵にはない、穴の中の「ろくべい」の挿絵では、穴の上の子どもたちの気持ちを考えさせ、穴の上の子どもたちの挿絵では、穴の中の「ろくべい」の気持ちを考えさせることにしました。そうなのです。「答えが一つでない授業」を考えたのです。我ながらすごいなあ。
教室が子どもたちの知的コミュニケーションで沸きたっていた時、アキちゃんが突然手を挙げて、「先生、答え知っているのなら早く教えてください!」。
アキちゃんは、私の授業改造の先生です。「答えが一つでない授業」は、すべての教育活動でなされていなければ、子どもたちのものにはならないのだ! と。

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