社長ブログ

新庄に行って来ました

2008.06.30

新庄市の「雪の里情報館」を井上館長さんに案内していただきました。「雪の里情報館」は、昭和8年、雪害救済運動によって設置された旧農林省の「積雪地方農村経済調査所」、これを「雪調」と呼ぶのだそうですが、その跡地に建てられたということです。
展示されているたくさんの資料の中で、松岡俊三(としぞう)の短歌の前で足が止まってしまいました。
  かかげずば千代も八千代も埋づもれん かかげて照らせ法の燈
松岡俊三は楯岡出身の国会議員でした。大正15年の冬、肺炎になり山形の済生館に入院したそうです。病室にいると、次々と子供が運ばれてくるのが聞こえる、そして若い母親のすすり泣く声が聞こえる、その惨状の原因はなんだと考え、そして叫んだそうです。
「それは、この長い寒い冬のせいだ、雪のせいだ!」
それから、松岡俊三の大きな目標を掲げての戦いが始まりました。雪国の暮らしを自分の足で調査し、積雪地と雪のない地方との比較、雪害の実態について講演会を開いて訴えて歩きました。そして昭和4年には「雪害調査機関設置に関する建議案」を国会に提出して可決。つづいて、税制上の措置など雪害に対する救済措置がなされるようになり、北海道・東北・北信越市町村長より感謝状が送られました。
松岡俊三の雪害救済運動は、特に新庄市を中心とする最上地方で燃え上がり、同8年に「積雪地方農村経済調査所」が新庄市に設置されました。これは「雪調」と呼ばれたとありましたが、特に新庄の町中の子どもたちは、この建物を「セツガイ」と呼んだそうです。井上館長さんと当社最北支店担当の小関参与は大の仲良しで、「よくセツガイで遊んだもんだ」と昔を懐かしんでおりました。
松岡俊三は言います。「歴代政府は東北を遇するにいかなる方策を執りたるか。一方において東北民性の去勢政策をとり、他方においては、資源の搾取政策をしいたのである。かくして鈍感にして、よく、為政者に忍従する東北民が生まれ、見渡す限りの山野が国有という奇現象をていするにいたったのである」。
  かかげずば千代も八千代も埋づもれん かかげて照らせ法の燈
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「雪害救済」という大きな目標を掲げ、リュックサック一つで飛び回って訴えてきた講演の回数、昭和5年11月から半年だけで83回、聴衆2万5千人。松岡俊三のような、郷土の偉人を持ったことを誇りに思います。郷土の発展に命をかける政治家がいる、それがわが山形です。
松岡俊三については、当社刊行の『少年少女 やまがた人物風土記 2』に、「雪国の訴えをきけ」として収めています。浅草浅草寺の大わらじは村山市の奉賛会が奉納していますが、そもそもは、昭和16年、松岡俊三が、雪害問題が解決したお礼に奉納するようにしたのが始まりだそうです。

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