社長ブログ

最上川、母なる川

2008.09.01

新庄に全社員が集まり、研修会を行いました。郷土を知らずして、郷土のお役には立てないと、4年計画で、庄内、置賜、村山、最上を学んできました。その最終回、今年は、新庄の「雪の里情報館」を見学、名誉館長でいらっしゃる大友義助先生のご講演をお聞きしました。
新庄を中心に、最上地方の歴史をお話してくださいました。お話を通して先生からいただいたものは、郷土に学ぶ楽しさと、郷土を愛する心、そしてその郷土のために役立とうとする意志でありました。
最上の地もそうですが、山形は、最上川によって形づくられました。米沢の西吾妻山を水源とし、米沢盆地、山形盆地、新庄盆地、そして庄内平野をうるおして日本海に流れる川。まさに、母なる川、最上川なのです。
最上川を語る大友先生は、本当に幸せそうでした。一県一水の川であること、川の流れが緑の大地をつくり、流域面積は、山形県の75%になっていること、山形の人口の8割がそこに暮らし、最上川から恩恵を受けていること、…。
「この地に人々が暮らし始めた頃、縄文時代の中頃、最上地方は文化の中心地であった、見よ、あの『縄文のヴィーナス』を」と、もう、本当に誇らしいのです。私たちも、うれしくなりました。あの、舟形の西ノ前遺跡の土偶は、実に美しいのです。
先生のお話は、とどまるところを知りません。「世界の文化の中心は、北緯40度のあたり、新庄、最上は、まさに40度。西ノ前遺跡のあの土偶のように、私たちは、すばらしいものを生み出す力を持っている。これから世界に発信する文化の町にしていかなければならない」
%E3%81%AD%E3%82%80%EF%BC%90%EF%BC%91-1.jpg
江戸時代、日本中に山形の文化を発信したのも、最上川でした。最上川の舟運により、村山の特産紅花は、京都、大阪、江戸に運ばれ、まさに「山形セレクション」、引っ張りだこの超ブランド品でした。
もちろん、米や大豆など、食料供給にもおおいに貢献し、ついでに、京、大坂の人形なんかを運んできて、山形各地にそれが残っているのです。相互の文化交流に果たした最上川の役割は、極めて大きなものでした。
「今、山形には、この最上川と山々の美しい自然、人々の暮らしを豊かにしてきた伝統や文化、歴史的建造物や遺跡など、たくさんの私たちの宝を、『世界遺産』にしようという夢があります」と、大友先生は、ますます顔をほころばせてお話くださいました。
私たち、山形教育用品の社員一同も、ぜひ、そのお手伝いをさせていただきます。郷土山形の発展のため、私たちは、まず、子どもたちのため、先生方のため、学校のためにがんばります。大友先生、元気の出るお話、ありがとうございました。

« 社長ブログ 一覧 »