社長ブログ

リメンバー・パール・ハーバー

2008.12.12

12月8日は、太平洋戦争開戦記念日でした。戦争を始めた日ですから、めでたいわけではありません。二度とこんなことはしないことを心に誓う日にしなければなりません。
この日を、アメリカでは「リメンバー・パール・ハーバー」の日というのだそうです。アメリカは、「リメンバー・○○」という言葉で、民衆の心を動かすことが、これまでにも繰り返し行われてきました。
古くは「リメンバー・アラモ」。1835年、メキシコ合衆国テキサス州に入植していたアメリカ人がアラモ砦に立てこもり、メキシコ軍に全滅にされた事件です。このあと、「リメンバー・アラモ」とばかりに、アメリカ軍がメキシコ軍を駆逐、テキサス州をアメリカに併合。ついには、メキシコ領土であったカリフォルニアやニュー・メキシコなどもアメリカ領となりました。
1895年、スペインから独立しようとしていたキューバを応援、戦艦メイン号を出したところ、これが大爆発。原因不明のまま、アメリカは「リメンバー・メイン」の声の下、米西戦争に突入します。スペインをうち破り、戦後のバリ条約でフィリピン、プエルトリコ、グアムを植民地化します。
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1941年12月8日(日本時間)、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃(かどうか意見が分かれているようですが)しました。「リメンバー・パール・ハーバー」は、時のアメリカ大統領、フランクリン・D・ルーズベルトが議会演説で用いた言葉だと言われています。
ヨーロッパ戦線ではフランス、イギリスなどが、日中戦争では中国が、ルーズベルト大統領に参戦を求めていました。ちょうどその時、日本軍の真珠湾奇襲が行われました。戦争にかかわることに反対していたアメリカ国民に、ルーズベルト大統領は「リメンバー・パール・ハーバー」と呼びかけたのです。
太平洋戦争は、1945年8月6日の広島、そして8月9日の長崎の原子爆弾投下で幕を閉じました。その年の12月までに、広島で14万人、長崎で7万人以上の多く命が失われました。「リメンバー・パール・ハーバー」の死者は2000人ほどといわれています。
「リメンバー・○○」は、その後も続きます。記憶に新しいのは「リメンバー・9・11」です。2001年に発生した同時多発テロです。これがアフガン戦争、イラク戦争につながったことはご承知の通りです。
「リメンバー・パール・ハーバー」は、「ノー・モア・ヒロシマ」につながりました。でも、日本人は、「リメンバー・ヒロシマ」とは言いません。「ノー・モア・ヒロシマ」です。オバマさんのアメリカが、これ以上、「リメンバー・○○」と言わないことを願います。

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