社長ブログ

社長ブログ特別編 第二回

2010.07.21

明治の「007」イザベラ・バードと「バード・ウオッチング」~「山形路」の街道足跡を辿る~
第1章 イザベラ・バード 旅行の「達人」・友愛の「国際人」
1 バードの記念碑と保護・継承
 バードは、米沢盆地を「アルカディア」と褒め称えただけでなく、県内外のまちや峠をも賞賛している。県内で特に好感をもたれた金山、川西、天童、上山の4市町では、郷土を誇りバードを讃える記念碑を建立している(写1~4)。
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 このように、記念碑や顕彰碑が建立されたのは、最近のことである。高梨氏の『日本奥地紀行』が発刊されて、日本人に広く紹介されバードの業績を高く評価したからである。なにせ、『日本奥地紀行』が翻訳されるまでのバードは、限られた研究者だけが知り、旅行95年後の年に初めて我々一般人の前に現れたのである。これらの記念碑の文面には、自分のまちを褒め称えたバードの英文と高梨氏の翻訳が引用されている。
 バードに関する地域住民の記録は、通ったであろう街道筋や宿泊地でも残念ながら現在のところまだ見つかっていない。当時、どこの土地でも初めて見る西洋人、バード見物のために人だかりとなった。突然現れあっという間に立ち去る外国人女性に、驚きと不思議さで唖然としていたのであろうが、心あるどなたかは日記等にその様子を記しているにちがいない。山形新聞等の地方新聞も、記事として採り上げていないが、必ず誰かがこのニュースを記したことだろう。近いうちに、古記録として発見されることを期待したい。
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 また県郷土館「文翔館」では、バードの県内での旅程地図を掲示している。南陽市上野の「ハイジアパーク南陽」では、1992年(平4)バードに関する記念コーナーを、国内で唯一設置した(写5)。このコーナーは、バードの人物像とバードが見た置賜像を、当時の時代背景とともに紹介している。直筆の手紙や実物の「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」が展示されている。地元の人々にとって郷土置賜の誇るべきルーツを発見し、地域アイデンティティの確認を通して郷土愛を育む機会になることを願う場としている。更に、「真の国際化とは?」「地方の時代とは?」を考える契機と考えている。今後は全国でのバード研究の「メッカ」となるよう、更なる資料の収集と展示の充実を期待したい。
 さて近年、各地でバードや街道に関する研究会や峠の敷石道や景観等の文化遺産の保護活動が、行政主体だけでなく民間やNPO等で積極的におこなわれている。そのきっかけは、次の5点にあるものと考える。
①1978年(昭53)から始まった文化庁「歴史の道調査事業」で、街道が再認識されたこと。県内では越後街道の黒沢峠での敷石の存在が明らかになり、地域民が中心となり萱野峠や黒沢峠の敷石道を発掘・保護する組織を結成するなど、地域民や関係者の熱意が高まった。「ここ掘れ和ん話ん探検隊」「敷石惚れ掘れ探検隊」「黒沢峠敷石道保存会」「宇津峠歩こう会」「上山まちづくりの会」等の活躍がある。
②街道の復元整備や街道を活かした地域づくりを目指した各種大会を開催していること。「イザベラ・バード記念フォーラム」(ハイジアパーク南陽:1992,1994)や「山形文化フォーラム?バードの足跡?置賜の人々と日々の暮らし」(飯豊町:2004)、「全国街道交流会議」(上山市:2004)、「羽州街道交流会」(金山町:2007)、「バードフォーラム」(ハイジアパーク南陽:2010)があった。また「越後米沢街道十三峠交流会」「六十里越街道交流会」「とうほく街道会議」など各地に研究会があり、NPO「元気・まちネット」(矢口正武代表)の企画役割も大きい。
③景観や環境を重んじる「まちづくり」や「みちづくり」の啓発活動が進んできたこと。例えば金山町での「街並み景観づくり100年運動」(1983~)は、着実な成果をあげている。更に、各地区振興会や協議会が、峠や街道、歴史的遺産の案内板や道標を設置している。
④「日本奥地紀行」の翻訳によって、バードの価値ある業績が認識されたこと。更に近年の相次ぐ「全巻」翻訳出版によって、バード研究が新たな視点から脚光をあびている。
⑤健康保持、生涯学習の機会、自分探しの旅等として、古街道や峠道を歩く活動が増えていること。更に、前述の東京「元気・まちネット」の組織が、「はるかなる道イザバラ・バード文学散歩の旅」のように、貴重な歴史の残る山形路を更に広めようと、観光業者が諸団体と提携して誘客・啓発に努めている。
 このように、バードや街道、文化遺産の研究・保護・継承は確実に行われており、将来にわたって継続・発展していくことを願いたいものである。

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