社長ブログ

社長ブログ特別編 第四回

2010.07.28

明治の「007」イザベラ・バードと「バード・ウオッチング」~「山形路」の街道足跡を辿る~
第1章 イザベラ・バード 旅行の「達人」・友愛の「国際人」
3 「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」の邦訳本は5冊
 「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」(原題:日本の未踏の地)の最初の邦訳本は、1973年(昭48)10月、高梨健吉氏の「日本奥地紀行」(平凡社東洋文庫)である。それは、「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」のロンドンでの初版から93年後の年にようやく一般の日本人の陽の目を浴び絶賛された。2000年代に入ってから、この「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」の邦訳本は、次のように相次いで各社から出版されている。
1973年(昭48)10月 「日本奥地紀行」 高梨健吉訳 平凡社東洋文庫
2000年(平12)2月 「日本奥地紀行」 高梨健吉訳 平凡社ライブラリー
2002年(平14)8月 「バード日本紀行」 楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳 雄松堂出版
2006年(平18) 山形大学名誉教授大津高訳(岩波文庫で出版企画、現在中断中) <注1>
2008年(平20)1月 「日本の未踏路 完全補遺」 高畑美代子訳 中央公論事業出版
2008年(平20)4月 「イザベラ・バードの日本紀行(上・下)」 時岡敬子訳 講談社学術文庫
 これらは全てバードの同じ「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」(写1)を邦訳しているのに、内容を全て載せているか、削除箇所があるか等内容に違いがある。
 2000年(平12)の「日本奥地紀行」は、1973年(昭48)と同じ書名と訳者、内容であり、平凡社ライブラリーとして新たに装丁されたもので変わりない。p3-1%EF%BD%9E2.jpg
 それに比べて、2002年の楠家重敏らの「バード日本紀行」と2008年の時岡敬子の「イザベラ・バードの日本紀行(上・下)」は、高梨の「日本奥地紀行」の約2倍の内容となっている。また2008年高畑美代子の「日本の未踏路 完全補遺」は、「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」の初版本には掲載されてあるものの、高梨の「日本奥地紀行」に含まれていない部分を補遺し、それらの省略・削除の箇所を指摘したものである(写2)。
 これらの違いは「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」原本の1880年(明13)刊行「初版本二巻」本を邦訳したものなのか、5年後に刊行した「省略本一巻」本を邦訳したものかによるのである。版元は同じマレー社である。
 これらは、何を意味しどんな影響があったのであろうか? それは、高梨が邦訳した「日本奥地紀行」は、「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」の原本の初版本ではなく、1885年(明18)にマレー社の省略本一巻を翻訳したものなのである。高梨は凡例のp1に「普及版(1885年)の全訳」と記載している。なお1885年(明18)のロンドンでの省略本には、扉に「新版・省略」との表示がみられたが、1888年(明21)の三版の省略本には「省略」の表示は消えている。当時のロンドンでの出版界では、「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」と言えば、これらの省略本を指すまでになっていたという。
 バードに頼まれマレー社の支援で「イザベラ・バードの生涯」を執筆したアンナ・ストッダートは、「旅行と冒険の本として廉価で一般への普及を目的にし、商品にしたかったのは未開で素朴なアイヌの人々」と説明している<注2>。p3-3-1.jpg
 それにもかかわらず1900年(明23)には、ロンドンのジョージ・ニューンズ社が、原著版の2巻をまとめて「新編UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」として出版している。著者名は、バード名ではなく結婚後のビショップを使っており、前書きを修正し挿絵だけでなく写真をも取り入れている。これらの経緯も、今後の吟味が必要である。
 そもそも初版本は、ロンドンとニューヨークで発売一ヶ月で3刷するほどのベストセラーであった。それにもかかわらず、マレー社はその初版から5年後と8年後に内容を半分も削除した「省略本」を刊行している。邦訳の先達者高梨健吉氏は、これらの事情を把握した上で省略本を翻訳したのかは、今のところ明らかでない。
 ところで、初版本から削除・省略された部分(高梨「日本奥地紀行」で省略、時岡「イザベラ・バードの日本紀行」で記載)は、どの箇所で、何なのだろうか?
 次の5点が主な事項である。
①東京~神戸~京都~宇治~奈良~伊勢~草津~京都~大阪~神戸の10月後半からの旅行全文
②キリスト教伝道拠点地での伝導の問題と医療伝道活動について
③バードのキリスト教観や日本の宗教の実態について
④明治政府の新しい諸制度(医療・紡績工場・絹糸・演劇等)について
⑤明治政府やサトウの情報から得た覚書(食品・食料・産業統計・政治組織等)
 山形県に関しては、次のことである。
◇第23信(上山にて)
流れ灌頂、イギリスについての質問(言論の自由の範囲)、絹糸と養蚕、蔵の役割と工法、富の神の像(大黒)
◇第24信 7/16(金山にて)
坂巻の橋の説明、山形の製糸工場、医師資格、喫煙、農村や県の統治、納税方法の改正、鉱物の権利
◇第25信 7/21(神宮寺にて)
石の縄(蛇籠・竹蛇籠)、脚気
 このように、未踏地の東北や北海道のアイヌ村を優先し東京以西は削除している。また、キリスト教宣教や医療伝道活動については避けている。それは20年前のマレイ氏の出版姿勢、即ちアメリカ紀行の時と同じなのだろうか。バードが新潟を訪れた主な目的は「バーム医師の行った医療伝道活動についてなにがしかを学ぶこと」であり<注3>、新潟や函館の宣教師宅での宿泊は和やかに懇談しているのである。それらの記述内容がバードが英国の宣教協会(CMS)の「現地教会組織方針」に批判している、と思われるのを避けるためだったのだろう。
 いずれにせよ、マレー社は普及版「旅行と冒険」の本とするために、バードの英国国教会における立場を考慮し、新しい日本の姿、西洋産業や文化を採り入れている様子や日本国の統計資料、を削除した。マレー社の出版事情と言うより、日英同盟締結や絹・生糸の貿易相手国として、日本に関する情報を国策として制限したと考えるのは行きすぎだろうか。
 諜報部員「007」バードの使命は、日本の情報特に未知なる奥地の実態を詳細に集めることだったのである。130年経った今日、全文が邦訳され真のバードの姿が見えつつあると言える。
<注1> 「河北新報」 2006.10.6記事 山形県立図書館所有の「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」初版本訳 2006
<注2> アンナ・ストッダート 「イザベラ・バードの生涯」 1995
<注3> イザベラ・バード著 時岡敬子訳 「イザベラ・バードの日本紀行」 講談社文庫 2008.4 P253

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