散歩で思う
2014.07.23
近年になって、目覚まし時計が不要になりました。以前は、何時まででも寝ていられたのですが、年齢とともに…。自分も動物の一員である証と考えています。明るくなると自然に目が覚め、今は4時過ぎにねぐらから抜け出す毎日です。7月も下旬、夏至の頃に比べて日の出が遅くなりました。それでも5時前から、ジョギングや散歩を楽しむ人達があちこちの玄関から外に出てきます。出会った散歩仲間と挨拶を交わしながら吸うヒンヤリした空気が全身を目覚めさせてくれます。いい季節です。
先の日曜日は様子がいつもと少し違いました。自宅から10分ほどの地域にさしかかると、遠く近くに見える皆さんの足が、一定方向に向かっているようです。その姿をよく見て納得しました。手に手に、カマなどを持っているのです。この地域の中心には、割合大きな公園があります。緑に囲まれた広場とたくさんの遊具や築山があり、子ども達の良い遊び場になっている所です。
地域住民の皆さんが年に何度か、一帯の清掃整備作業をなさっている姿を、これまでも目にしてきました。そのたびに公園の緑地は芝生のようになり、花壇の花々は美しさを増します。多分今回の作業によって、また一段と清潔安心な憩いの場になっていることと思います。
奉仕精神といってしまえば大上段過ぎるかもしれません。しかし、皆さんの環境美化にかける思いとか、結束力といったものが、とても強い、と伺い知ることができます(私も今朝、自宅前の側溝の草取りをしましたが、せいぜいそれだけで、お恥ずかしいです…)。こまかい話になりますが、この地域にある大きなゴミ集積場(少なくとも2カ所)。一口に言って、「いつも整然としています」。ルールやマナーが守られている、といえると思います。お陰様で、私の心までみがかれそうです。
『道徳』の教科化に伴う検討が進められています。『道徳』の時間を中心に、学校教育の全ての時間において、道徳教育を深化すべき。そういう考え方に大賛成です。が、道徳教育とは、本来、子どもが誕生して間もなくから、家庭教育の中で、社会の教育力によって、実践されるべきもののはずです。公徳心とか、思いやりの心とかについて、学校教育の『道徳』をいかにするか、も大切。しかし同時に、社会全般の道徳性をどう高めるかも、議論の中に含めていただきたいものです。子ども達のまわりには、余りにも不道徳な情報が大人によって沢山もたらされているわけですから…。
散歩コースにあるこの地域(ちなみに、弊社の社長が住んでいるところですが)では、子ども達にとってすばらしい道徳教育が行われている。そう思う私も、少しは真似をしなければ…。(平26.7.23)