社長ブログ

「いのち」のありがたみ

2017.03.24

 春分の 日の余りある 陽の光 (橋本典子)
今年の春分は3月20日でした。すっかり日が長くなり、山形市の日の入りも午後6時近くになりました。外からは春の陽気に促されて、子ども達の元気に遊ぶ声が聞こえてきます。
201703241%20%28220x165%29.jpg今年度も残すところ5日です。まもなく新年度を迎えます。幼稚園や小学校、中学校に入園、入学予定の子ども達にとっては、その日を指折り数えて待っていることと思います。そんな子ども達に、新生活に入る節目として、ぜひ「いのち」の大切さを感じて欲しいなと思い、次の作文を紹介します。新生活を迎える子ども達にはちょっとふさわしくないかもしれませんが、悲しみを乗り越えた「希望」を感じさせてくれます。
この作文は、当社山形教育用品も毎年発行に協力している、山形県教職員組合編集発行の『山形の子ども 第44集』に載っていたものです。ちょうど1月前の2月末に発行されたもので、湯気が出るくらいのできたてです。
白鷹町立鮎貝小学校2年生の大木としや君の「おそうしき」という題名の作品です。
「ぼくの大すきなじいちゃんが、とつぜんなくなりました。おそうしきをする前に、じいちゃんのほねをひろいました。じいちゃんのほねは、くだけていました。もうぼろぼろにこわれていました。ほねを一本人にわたしてから、よこにいどうして、その人からぼくにわたって、はこの中に入れました。じいちゃんのほねを見ていたら、いろいろな思い出がうかんできました。ぼくが五さいのころまでねこをかっていて、じいちゃんがいつもそのねこをだいていたこと。こううんきのうごかし方を教えてくれたこと。畑のたねまきをいっしょにしたこと…。ぼくは、じいちゃんが大すきでした。
 その後、バスでナウエルホールに行き、おそうしきがはじまりました。ぼくは、長い間、ずっとしせいを正してすわっていました。四十九日かかって天国に行くとお母さんに教えてもらいました。『じいちゃん、ぼくのべんきょうやサッカーを天国で見ていてね。』と心の中で言いました。おそうしきがおわり、じいちゃんが旅立ちました。そして、きちゅうほうようをして、のうこつとおねんぶつをしました。それから、なたもちをしてだんばらいをしました。
 ぼくは、じいちゃんがいなくなって、心細くなっています。でも、学校にはちゃんと行こうと思っています。ぼくは、じいちゃんがだいじにしていた畑をもらったので、そこにいつもじいちゃんがいると思っています。」 

※文中にある「なたもち」とは白鷹町に伝わる風習で、納骨後に一升の餅を鉈(なた)で切り、塩をつけて食べる習慣だそうです。
お葬式の作文ですが、淡々とした文章には、決して暗さを感じさせない、むしろ、「これからもがんばっていくぞ」という明るい決意が伝わってくるようです。特に、最後の文には泣かされます。
「いのち」の大切さとよく言われますが、言葉としてはわかっても、なかなか実感できるものではありません。としや君のように身内の者の死や葬儀、あるいは赤ちゃん誕生などの実体験がなければ、本当の理解には結びつかないものです。きっととしや君は、おじいちゃんの骨を拾う行為に命のありがたみ、尊厳さを感じたんだろうと思います。
201703242%20%28220x165%29.jpgしかしながら、としや君のような体験はめったにあるわけではありません。山形県でも、「いのち」や人とのつながりの大切さ、子ども達の感性を育むためのさまざまな取り組みがなされています。
平成21年に(財)山形県教育公務員弘済会が、子ども達にいい本に出会ってもらおうという趣旨で「わくわく♪絵本便」をスタートさせました。山形県教育委員会でも、平成24年度から 「いのちの教育」推進の一環として、生命尊重や生きがい・生き方にかかわる絵本を県内各小中学校、特別支援学校で巡回する「さんさん『いのち』の絵本巡回展」を実施してきました。わたしたち山形教育用品も巡回のお手伝いをさせていただきました。
今、どこの自治体でも「学力向上」が錦の御旗になっています。もちろん、子ども達に文科省が説明している「学力」を確実につけていくことは極めて大事なことです。同時に、命が粗末にされている風潮、陰湿ないじめが後を絶たない現実を考えれば、としや君のような作文や絵本、読み物などの読書教材を活用した「いのちの学び」のいっそうの展開を望みたいところです。(2017.3.24)

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