年の瀬に思う
2018.12.25
大空の あくなく晴れし 師走かな (久保田万太郎)
久保田万太郎は東京浅草生まれです。冬の東京の晴れた空は、まさにこの句のようにどこまでも果てしなく澄んだ青空なんでしょう。どんよりと曇った鉛色の空の下に暮らす日本海側人にとっては気の重くなる季節の始まりです。今年の冬はエルニーニョが発生して暖冬との予想ですが、雪が少なくなることを切に期待したいです。
さて、この年末にたくさんの喪中欠礼のお葉書をいただきました。数えたら40通を超えています。ほとんどがお父様、お母様のご逝去によるものです。新聞には毎日、80歳以上の方々の訃報がたくさん載っています。
年の瀬、また一つ年を重ねるにあたり、日本の人口問題、高齢化社会について考えてみました。
日本の昨年1年間の死亡数は134万人、反対に出生数は94万人です。その差40万人。単純に考えると、1年間で40万もの人口が減った計算になります。日本の総人口のピークはちょうど10年前、平成20年で1億2千808万人でした。その後減少に転じ、今年の11月には1億2千645万人です。10年間で163万人も減少しています。鹿児島県の人口に匹敵する数字です。山形県でも、この10年間でちょうど10万人の人口が減少しています。
今から80年後、西暦2100年には日本の人口は6000万人を下回るそうです。今の半分、驚きです。
昭和49年に、国は「日本人口会議」で「日本人口爆発によって様々な問題が発生するから、子どもは2人まで」という大会宣言を採択しています。
『人口爆発』なんて言葉がすんなり受け入れられたのです。今は昔、そんな時代もあったのです。もう、これは今話題の「外国人労働者」をたくさん受け入れるしかないのでしょうかね。
日本の高齢者の割合も総人口の3割近くを占めます。この場合の高齢者とは65歳以上をさします。この割合は世界でも類を見ない、極めて高い数字です。世界一だそうです。
若かった頃、自分が高齢者になるなどととは考えもしませんでした。二十歳になる時は、何かしら浮かれた想いがありました。四十になった時には、おじさんになっちゃったとため息を漏らしました。六十になった時には、さすがに沈黙しかありませんでした。そして、来年はいよいよ高齢者の仲間入りです。
『論語』に「子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」と有名な言葉があります。
まだまだ、人間できていないなあと自戒するばかりです。さすが、儒教の始祖と呼ばれる孔子が自らの生き方を語った言葉です。でも、「惑って」ばかりいるということは、まだ四十にも達していない、まだ気持ちは高齢でないなどと、自分勝手な解釈をしてしまいます。
年末にあたり、とりとめのない話になりました。年が明ければ、一つ年を重ねるわ、会社にとって大切な子どもの数は減るわで、将来の展望は暗いとは言わないまでも、薄暗い状況です。
今回は、冒頭の句のような爽やかな内容とはほど遠いものとなりました。
みなさんには幸多くよい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。(2018.12.25)