旅立ちの季節
2019.03.28
菜の花が しはわせさうに 黄色して (細見綾子)
今年度も後4日となりました。来週月曜日は4月1日、新学期、新しい年度がスタートします。通勤途中にある小学校のグラウンドでは、卒業した子ども達がサッカーをして遊んでいました。小学校生活への名残惜しさと新たな出発への喜びが感じられます。別れとスタートを繰り返し、子ども達は大人になっていく。中高年はスタートがなくなり、別れしかなくなってくる。新たに何かやってみようという挑戦がなくなってくるとますます老いていくのかなと、元気に駆け回る子ども達をうらやましく感じたところです。
さて、3月初めのある日、社員に誘われて山形市内T小学校で開催されたコンサートに行ってきました。そのコンサートは、校長先生が自ら演奏する退職記念コンサートでした。D校長とは若い頃からの知り合いですが、歌を聴くのも、ギター演奏を聴くのも初めてでした。若い時分、路上で演奏もしていたという歌声は定年間近とは思えないほど声に伸びとつやがありました。曲もテレビから聞こえてくるジャパニーズポップスで、D校長のセンスと若さを感じました。
どの曲もすばらしいものばかりでしたが、なかでも、ゆずの『友 ~旅立ちの時~ 』と映画ドラえもんの主題歌『ひまわりの約束』がすばらしかった。2つとも合唱曲になると、歌詞の持つ意味と曲の豊かさがいっそう伝わってきます。歌詞だけ見ると、今時の言葉がぽんぽんと羅列しているように思いますが、その言葉にメロディーがのるとすばらしい曲の世界が広がります。オリジナルの曲もすばらしいですが、合唱曲にアレンジされると深みと豊かさがいっそう増すように感じます。特に、『友』は、2013年のNコンの課題曲だったこともあり心に残ります。郡山市立第二中学校の混声合唱は秀逸です。ぜひ、YouTubeでお聴きいただければと思います。
合唱を聴いていいなと思うようになったのは教員になってからです。小中学校時代は音楽が大の苦手で、「音が苦」でした。特に、歌を歌うことが嫌いで、成績はいつも「2」ばかりでした。技能教科において「1」というのは普通ないでしょうから、よっぽど歌えなかったのか、歌わなかったのかどっちかだったと思います。
そんな自分が小学校の教員になって、音楽を指導するとは夢にも思いませんでした。単純に、明るく、元気に、大きな声で歌っていればいいんだと若かった頃は思っていましたが、歌うことの楽しさ、人と声を合わせることの喜びを子ども達に伝えられなかった自分の指導の未熟さを恥じ入るばかりです。
最後に勤務した学校では、合唱活動が盛んでした。子ども達の生き生きとして歌う姿や表情はもちろんですが、美しい歌声やハーモニーの素晴らしさにいつも感動していました。合唱指導の先生の指導には、いつも感心したものです。学校には美しい歌声が響いていなければなりません。
惜別と希望の季節。D校長先生、38年間の教員生活ご苦労様でした。そして、小学校のグラウンドで名残惜しそうにサッカーに興じていた子ども達に、心に残った2つの曲の歌詞を送りたいと思います。
「友 さようならそしてありがとう 再び会えるその時まで
友 僕たちが見上げる空は どこまでも続き 輝いている
同じ空の下 どこかで僕たちは いつも繋がっている」
(ゆず『友 ~旅立ちの時~ 』から、作詞:北川悠仁)
「そばにいること なにげないこの瞬間も 忘れはしないよ
旅立ちの日 手を振る時 笑顔でいられるように
ひまわりのような まっすぐなその優しさを温もりを
全部返したいけれど 君のことだからもう充分だよって
きっと言うかな」
(秦基博『ひまわりの約束』から、作詞:秦基博) (2019.3.28)