社長ブログ

「令和」時代到来 山形市中心市街地の未来は…

2019.04.26

 たんぽぽや 日はいつまでも 大空に (中村汀女)
季節は、「穀雨」の頃を迎えました。4月初旬は雪が積もる、まさに「寒の戻り」という言葉がぴったりの寒い日が続きましたが、さすがに桜も散り始めたこの時期は季節の変わり目を感じさせます。葉桜が目に鮮やかです。
001%20%28220x124%29.jpg変わり目と言えば、新元号が「令和」と決まりました。由来となったのは、万葉集「梅花の歌三十二首」の序文とのこと。
「時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す」
作者が大伴旅人とも山上憶良とも言われるこの序文は、格調高く、尊厳と品格を感じさせます。新元号「令和」より、こちらの序文に惹かれます。今、万葉集がベストセラーになっているという現象も理解できます。
さて、平成の30年をふり返る時、たくさんの思い出、感慨、印象が思い浮かびます。その中の一つに、山形市中心市街地の衰退があげられます。それというのは、山形市商工会議所の機関誌「商工月報」4月号に、『減少傾向に歯止め』と題する山形市街地における歩行者通行量調査結果が出ていたからです。
調査は、中心市街地33地点における平成26年、平成28年、平成30年、それぞれ10月の日曜日の歩行者数を調べたものです。それによると、大沼デパートからの北進地点、山形駅前から本町にかけての地点で増加傾向が見られ、「全体として中心市街地の吸引力に回復の兆しが見える」と分析しています。
でも、「本当なのかな」という感想を持ちます。最近の景気判断のように正直実感がわきません。本町から七日町までの地点は、八文字屋付近の七十七銀行前は平成26年の3,313人から平成30年は1,876人になっています。4割以上の減少です。山交ビル前も3割以上の減少です。山形市の人口は増加していますが、中心市街地の人口は減少傾向にあります。
以前にもこのブログで書きましたが、中心市街地の更地の急増、空洞化が顕著です。駅前の旧ビブレ跡地駐車場、旧十字屋解体工事、山交ビル入店店舗状況、大沼デパート問題等々、どれもこれも寂しい限りです。
005%20%28220x124%29.jpg山形市の季刊誌に『やまがた街角』があります(本誌は18年の歴史にピリオドを打ち本年3月に休刊しました)。2018年冬号に『平成山形街なかプレイバック』という特集がありました。平成時代をふり返って、山形市中心商店街の今昔と将来への提言(?)の記事ですが、その分析がなかなかおもしろく、興味深く読みました。
特に、中心商店街の衰退の原因の一つに「アーケード撤去」をあげていることに大変興味を引かれました。アーケードは、流行る店もそうでない店も同じ屋根の下にある百貨店のようなものだ、その屋根が撤去されれば流行らない店から休業に追い込まれていくという分析には、「なるほど」と思わされました。アーケードは雪国にとっては便利ですが、火事などの災害時にはかえって被害を大きくします。近年は撤去される傾向にあります。しかし、撤去された後の街並みはちょっとみすぼらしい感じです。七日町や本町、そしてスズラン街商店街も華やかに飾られたアーケードがなくなり、寂しい通りに変貌しました。仙台の中央通り商店街のようなりっぱなアーケード商店街を期待したいものです(まず無理でしょうから、夢みたいなものですが)。
さて、明日から会社も10連休。それぞれいろいろな計画をお持ちの方が多いでしょうが、当方、混雑が嫌い、人混みが嫌い、行列が嫌いの人間にとっては家に引きこもっているしかありません。せめて、人通りの少ない七日町商店街を散策して時間をつぶすしかないようです。(2019.4.26)

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