社長ブログ

仏壇に水を供える…子どもの作文から

2019.05.24

 五月来ぬ 心ひらけし 五月来ぬ (星野立子) 
003001%20%28124x220%29.jpg机上の卓上カレンダーが5枚目を終えようとしています。5月も末。木々の緑も「萌黄色」から鮮やかな緑色「鮮緑」へと変わってきました。この季節、よく「清々しい」と言いますが、遙か遠くの山々の木々の一本一本がはっきり見えるぐらい間近に見えます。それだけ空気が澄んでいるのでしょう。まさに、二十四節気の「小満」、陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る頃です。私的には、今頃の季節が一番好きです。
 
さて、今年も文集『山形の子ども』が送られてきました。県教組教育文化部で編集発行している作文集です。「日々の生活を綴る作文」と謳っているだけあって、遠足や運動会などの行事作文とはひと味違います。読んでおもしろいです。特に、低学年。
その中の一編。河北町立谷地南部小学校1年 あだち たいがくんの『おとうさん、お水をどうぞ』を紹介します。
 ぼくは、まい日、ほとけさまにお水をあげるお手つだいをしています。ほとけさまはおとうさんです。
 おとうさんは、ぼくが生まれてすぐにしんでしまったそうです。だから、ぼくは、おとうさんのことがぜんぜんわかりません。でも、まい日、ほとけさまにかざってある、おとうさんのしゃしんを見て、おまいりしています。
(中略)
 お水をあげるときは、チンチンとかねをならします。そして、こころの中で、「うんどうかいではやく走れますように。」とか、「おうえんしてね。」とかおねがいします。
 おにいちゃんは、
「パパ、よろしくね。」
と、こえを出しておねがいをしています。
007002%28124x220%29.jpg ときどき、お水をあげるのをわすれてしまうことがあります。だけど、おにいちゃんがごはんを上げていると、ぼくもおもい出してやります。おにいちゃんがわすれたときは、
「おにいちゃん、ごはんあげするんだよ。」
と、ぼくがおしえてあげます。
 なつ休みに、おとうさんが生まれた名ごやのおじいちゃんとおばあちゃんのところにいきました。おにいちゃんと二人だけでいきました。ひこうきにのっていきました。
 名ごじいちゃんと名ごばあちゃんは、
「おとうさんは、やさしい人だったよ。」
と、おしえてくれました。
 そして、名ごばあちゃんは、おとうさんがたいせつにしていたキーホルダーをくれました。ぼくは、それをおさいふにつけました。ぼくは、それを見ると、すこしだけおとうさんのことをおもい出します。
 おとうさんがやさしい人だったときいて、ぼくはうれしかったです。だから、ぼくもやさしい人になれるように、お手つだいをつづけていきたいです。お水をあげるときは、こころの中で、そっと、
「おとうさん、お水をどうぞ。」
といいます。

009003%20%28124x220%29.jpg山形の言葉で言えば、「むつこくなる」ような作文です。いじめや虐待が日常茶飯の世の中、純真な少年の温かい思いを感じて何かほっとさせてくれます。
仏様に水やご飯を供えることをしている子どもが、今どれくらいいるでしょうか。身近な家族が亡くなったりしなければ、仏壇に手を合わせることもないでしょう。かく言う自分も神も仏も、キリストもアッラーも信じない不信心な罰当たり者ですが、たいがくんが毎日、亡き父に水を供えていることに頭が下がります。
「水をあげる」ことによって、よく覚えていないお父さんとのつながり、そして自分自身の成長を確認しているんでしょう。きっと、お父さんも喜んでくれていると思うよ、たいがくん。(2019.5.24)

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