入院と子どもの泣き声
2019.06.26
噴水の しぶけり四方に 風の街 (石田波郷)
からだの都合で5日ほど入院しました。病院に行く途中に噴水があります。噴水の水しぶきが日光に反射して、まばゆいばかりに輝いていました。夏ですね。
荒井由実に『海を見ていた午後』という歌があります。45年も前の曲ですが、今も色褪せてはいません。詞の中にある「ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも 恋のように消えていった」というフレーズが好きです(三島由紀夫の詩にも同じようなフレーズがあるそうです)。荒井由実の歌は、ソーダ水のアワのような歌い方です。そして、「噴水のしぶけり」を見ていると、まさに「小さなアワが 恋のように消えていった」という気持ちになります。
さて、からだですが、大丈夫です。のどにできた良性のポリープの切除です。昨年に引き続き2回目です。慣れたものです。気管の手術なので全身麻酔です。これが気持ちいい。麻酔の点滴をされると、あっという間に夢の世界です。「麻酔」は、明治の終わり頃は医学界では「魔睡」という漢字が遣われていたそうです。まさに、悪魔の眠り、魔法の眠りです。目覚めも気持ちよく、ぐっすりと眠れたなという感じです。
病棟は、耳鼻科と小児科が一緒になっています。朝から夜中まで、乳幼児の泣き声が病棟内に響いています。泣き声の大きさも泣き方も千差万別です。この泣き声が快か不快かといえば、もちろん心地よいものではありません。
そのことで思い起こす出来事が二つ。
一つは、今月中旬、新潟県N市役所の31歳の女性職員が生後2ヶ月の乳児を床にたたきつけて殺害するという事件がありました。「育児で眠れなかった」と供述しているようですが、何ともつらく悲しい事件です。産後うつ、育児ノイローゼでしょうが、何も生後間もないわが子を殺すことは…。
もう一つ、これも今月ネット上で話題になっていることです。フリーアナウンサーの小島慶子さんの問題提起。小島さんが、ツイッターで「電車の中で泣く赤ちゃんに腹を立てて『泣きやませる努力が足りない』と母親を責めるツイートを見た」として、「生き物だから思い通りにならないのですよ。それよりあなたの幼稚な『ママは完璧』幻想を捨てる努力をしたらどうでしょうか」と異論を唱えたというものです。幼稚な考えというのはどうかと思いますが、正論でしょう。
子どもの泣き声、特に赤ちゃんの泣き声は、人によっては「癇にさわる」ことだと思います。自分も子どもが小さい頃、夜中の泣き声で苦労しました。日中忙しく働いている者にとっては、まさに癇にさわります。また、電車の中でも大声で泣き出して、なだめてもすかしても泣き止まず、周りの方々に不快な思いをさせたこともたくさんあります。
でも、それはみんな同じです。泣かない赤ちゃんなんていません。泣く子は元気な証拠です。癇にさわるあなたも、幼い時は大声で泣いていたのです。
厚生労働省の育児パンフレットに、こんな言葉がありました。
「『泣き』はお母さんの注意をひきつける最も効果的なコミュニケーション手段。赤ちゃんの『ことば』です」
「泣いたら、あやしてあげる。見つめたら、見つめかえしてあげる。手を伸ばしてきたら、抱きしめて体温を感じる。おっぱいを飲んでいるときには、赤ちゃんのいいにおい。ことばの意味を理解するまでの1年あまりは、体を使ったコミュニケーション。赤ちゃんとのスキンシップも大切にしながら良い関係をつくってください」
赤ちゃんが泣くことは、大人へと成長する第一歩です。親は赤ちゃんの一番身近にいるカウンセラーなのです。自分の子どもはもちろん、他人の子どももそんな温かく、長い目で見ていきたいものです。ただし、どんな時も子どもを叱らないことを教育方針としている親の考えには賛成できませんが。
入院はわずか5日間でした。でも、疲れました。もう、病院には行きたくないと、心から思いました。退院の時、病院の外に出たら、実に空気がおいしかったです。シャバの空気はいいなあ…。
(註)写真の建物は、S生館病院から見た話題の「大沼デパート」です。裏から見ると、自分自身のようにだいぶくたびれているなあ。(2019.6.26)