社長ブログ

今年はねずみ年だった…

2020.12.15

今年も残すところ、あと半月。去年の今頃は、「2020年は東京オリンピックが主役の年」と思っていたのですが、誰にも忖度しない(?)新型コロナウイルスが、遠慮なく主役になってしまった2020年でした。
先日、本社で、ある作業をしている時、来年の干支である「牛」のキャラクターが話題になりました。その時、「今年の干支は何だっけ?」と今年の干支すら忘れている自分自身に気づき、いかにボーッと生きているか改めて認識した次第です。学校に勤務していた頃は、文章を書く時や生徒に話をするときに、干支を話題にすることもあったので、「今年の干支」を忘れることはありませんでした。いざ、学校を離れてみると、まず文書を書かないので、「今年の干支」など知っている必要は全くなく、改めて「ネズミだよなぁ?」とわざわざネットで確認している自分に、ほんの少しですが衝撃を受けています。
「ねずみ年か…」
「ねずみ」と言えば「ミッキーマウス」しかない! そこで、今回は無理矢理「ミッキーマウス」と「ディズニー」の思い出について触れてみたいと思います。
私が子供の頃から「ミッキーマウス」はありましたが、私にとっては「鉄腕アトム」や「ポパイ」と何ら変わりない普通の存在でした。
今のように、日本において、「ミッキーマウス」が他のキャラクターよりはちょっと特別な存在になったのは、やはり「東京ディズニーランド」がオープンしてからだと思います。個人的には、今から40年前、1980年にロサンゼルスのディズニーランドに行った時から、「ミッキーマウス」は私にとっては特別な存在で、その時購入した「ミッキーマウス」のバッジやキャプは、アメリカに行ったということをちょっと自慢するための貴重なアイテムでした。
こうしてみると、「ミッキーマウス」を特別な存在にしたのは「ディズニーランド」という夢の国であり、「ディズニーランド」への憧れが「ミッキーマウス」を特別な存在にしたように思います。
DSC_1005copy.jpg話は変わって、「ディズニー」という言葉が私の脳にインプットされたのは、小学校4~5年の頃に放送された、ずばり『ディズニーランド』というテレビ番組でした。日曜日の夜の7時からの1時間番組で、冒頭にウォルト・ディズニー自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つから、ティンカー・ベルが妖精の粉を振りかけた一つの国をとりあげ、それに関連した内容(物語)を紹介するものでした。映像が美しく、とてもリアルで、内容も濃く、あっと言う間に時間が過ぎてしまう秀作でした。その頃の私にとって、「ディズニーランド」といえば「遊園地」ではなく、この「テレビ番組」を指しました。
最後に、「ねずみ年」は「変化の多い年」と言われますが、「その通り!」と実感した1年でした。
※写真は1980年に初めてロサンゼルスの「ディズニーランド」に行ったときの写真をスマホで改めて撮ったものです。左の写真の中央にいるのが私(黒いパイレーツの帽子)です。(2020.12.15)

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