社長ブログ

甲子園と北海道旅行

2023.08.17

「風鈴」「かき氷」「浴衣」などなど、暑い夏から連想する「もの」の一部です。しかし、最近の、特に今年の夏は、こんな流ちょうなことは言っていられない猛暑が続き、連想するものが「熱中症警戒アラート」「危険な暑さ」など、生命に関わるような「もの」に変わってきています。
この猛暑の中、高校球児たちの憧れの場「甲子園球場」で、全国高等学校野球選手権大会が開催されています。4年ぶりの声出しとブラスバンド応援が可能となり、コロナ前の熱気あふれるスタンドがもどってきています。しかし、「夏の風物詩」と言葉で言うのは簡単ですが、想像を絶する灼熱のグラウンドです。高校球児や応援する学校関係の方々の身体の安全を祈ってやみません。

こんな風に書き出していますが、私はそんなに甲子園に関心を持っているわけではありません。しかし、記憶に残っている試合はいくつかあります。その試合の一つが、1985年(昭和60年)8月14日に行われた、東海大山形とPL学園の試合です。桑田、清原選手擁するPL学園が29点(今も最多得点の記録)をあげた試合というと、多くの人が思い出すのではないでしょうか。東海大山形も最終回、大量5点を返す活躍を見せ、投手経験のある清原をマウンドに送り込むしかない状況を作るほど粘りました。この大会でPL学園から7点も奪ったのは東海大山形だけで、準々決勝戦の高知商業も、決勝戦の宇部商業も3点止まりでした。
大量得点と大量点数差から緊迫感のない試合と思われがちですが、7回まで両チームともエラーが一つもない真剣勝負が展開されたと、後になって知り、点数差など関係なく、両チームが全力で戦ったことに感動しています。

実は、この東海大山形とPL学園の試合のとき、私は北海道旅行の真っ最中でした。私と友人2人、レンタカーを借り、札幌市発着で、道東方面を巡る5泊の旅行です。この試合は、旭川市から札幌市へ向かう車の中、「カーラジオ」で聴いていました(当時は、車にナビやテレビはありません。カーラジオ全盛期です)。多分、国道233号線だと思うのですが、旭川市を過ぎると山間部になるため、いくつかのトンネルを通過します。トンネルに入ると電波が届かないため、「シー」というノイズだけになります。トンネルを抜けると、また、アナウンサーの実況にもどります。これを何回か繰り返しました。
トンネルに入る前は「0対2です」だったのが、トンネルを抜けると「0対7です」に変わっています。また、トンネルに入ります。「いくら何でも、PLの得点は1点か2点だろう」と思っていたら、出ると11点に、何回かトンネルの出入りを繰り返していると20点になっています。
「何かの間違いじゃないのか?」「ラジオ版ドッキリじゃないのか?」と思ってしまうほどの点の入り方です。結局、PL学園は毎回得点(最小で2点、最大で6点)なので、トンネルでラジオ中継が中断するたびに点数が大きく変わっていったのもうなずけます。

くり返しになりますが、この東海大山形とPL学園の試合が記憶に残る試合の一つであるのは、29対7という点数もありますが、それ以上に、トンネルでラジオ中継が中断するたびに、大きく点数が動くという奇妙な体験の方が理由として大きいと思います。

写真 N社の厚底シューズ。左:令和元年購入。右1ヵ月前購入。実は派手好きオヤジです。

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