「じゃんけん」の文化 ~ 違うからこそ、成り立つ~ 小さな文化に学ぶ⑪
2026.10.01
「じゃんけんぽん!」
子どものころから、私たちは何度この言葉を口にしてきたことでしょう。遊びの順番を決めたり、どちらが先にやるかを決めたり、意見が分かれたときの最後の一手にしたり。「じゃんけん」は、年齢や立場に関係なく、誰でも参加できる身近な文化です。調べてみると、現在のじゃんけんにつながる「拳」の遊びは中国から伝わり、日本では「虫拳」や「狐拳」など、さまざまな形に発展したとされています。そして今では、英語の「Rock Paper Scissors」など、世界各地にも似た遊びがあります。形や呼び方は違っても、その基本は「三つのものが互いに勝ったり負けたりする」という仕組みです。どれか一つが、いつも勝つわけではありません。考えてみれば、これはなかなかよくできた仕組みです。違うものがあるからこそ、ゲームが成り立っているのです。
この「三すくみ」を考えていると、社会の仕組みである「三権分立」が浮かんできます。立法・行政・司法という三つの権力を分け、それぞれが役割を持ちながら、互いにチェックすることで、一つの権力にすべてが集まることを防ぐ仕組みです。もちろん、じゃんけんと三権分立は同じものではありません。でも、「一つだけが絶対的に強くならない」という考え方には、共通するものがあります。権力は大きくなればなるほど、それをチェックする仕組みが必要になります。誰か一人、あるいは一つの組織が「自分だけが正しい」となれば、社会のバランスは崩れてしまうからです。だからこそ、異なる立場が存在し、互いに抑え合い、支え合うことに意味があります。これは政治だけの話ではありません。私たちの身の回りでも、自分とは違う意見を持つ人がいるからこそ、気づかなかったことに気づくことがあります。「違う」ということは、必ずしも面倒なことではなく、社会を豊かにする力にもなるのです。
そう考えると、最近の国際社会で起きていることにも、少し気になる問題があります。2026年9月、アメリカのトランプ大統領は国連総会で国際刑事裁判所(ICC)を強く批判し、ICCに加盟している国々に離脱を呼びかけました。米国はICCの加盟国ではなく、トランプ政権はICCが米国や同盟国に対して管轄権を及ぼすことを問題視しています。一方、ICCには現在125か国が加盟し、ジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪などについて、個人の責任を問う役割を担っています。もちろん、ICCの権限や国の主権をめぐっては議論があります。この議論は、単に一つの国際機関をどう評価するかという問題だけではないように思います。そこには、「大きな力を持つ国や指導者であっても、ルールや司法によるチェックから完全に自由であってよいのか」という、もっと根本的な問いです。もちろん、国家の主権や司法権の範囲をどう考えるかという論点もあります。しかし、「じゃんけん」のように、誰か一つの力だけで勝負のルールを決めてしまえば、そもそもゲームは成り立ちません。このことは、国際社会だけでなく、私たちが暮らす社会にも通じる話ではないでしょうか。
では、私たちの身近な社会で、「一つの力だけが強くなりすぎない」ために大切なものは何でしょうか。そこに見えてくるのが、「平等」「公正」「包摂」という考え方です。平等とは、一人ひとりが等しく尊重されること。公正とは、立場の強い人にも弱い人にも、ルールが公平に適用されること。そして包摂とは、年齢や性別、考え方や文化などの違いがあっても、誰かを最初から仲間の外に置かないことです。違いをなくして一つにするのではなく、違いがあるまま、互いを認めながら一緒に社会をつくっていく。そこに、多様性の本当の意味があるのだと思います。
「じゃんけんぽん!」
違うからこそ、成り立つ。一つだけが強くなりすぎないからこそ、ともに生きられる。
誰か一人が、いつも正しいわけではない。誰か一つの力だけで、すべてを決めればいいわけでもない。異なる立場や考えを持つ人たちがいるからこそ、互いに支えたり、補ったり、時には自分の考えを見直したりすることができます。一つの力が大きくなりすぎないこと。違うものを違うままに認めること。そして、誰もが社会の一員として尊重されること。その先に、平等で、公正で、包摂性のある豊かな社会があり、さらにその先に「共存共栄」という言葉があるのではないでしょうか。そう考えると、子どものころから何気なく遊んできた「じゃんけん」は、単なる勝負を決める遊びではなく、「違うものが、違うままに共にある」ことの大切さを教えてくれる、小さな文化なのかもしれません。<令和8年10月1日 NO.62>