社長ブログ

ナラティブ・ベイスト

2008.11.19

F小学校の公開研究会に行って来ました。この学校は、「子どものストーリー」を大事にして授業づくりをしています。以前、北京オリンピックのところで、山形の学校は一人一人の「子どもの物語」をとても大事にしていると書きました。このことと同じです。
2年生の国語の授業。「思ったことを書きためて、自分の本を作ろう」という作文の単元。
書く題材を選ぶときに大切なことを話し合う学習。A君は、「2行くらい書けたけど、そこでなやんでしまいました」と言います。そのA君に、子どもたちの質問が続きます。
「どうしてなやんだの?」「思い出せなかったの」「何のことで?」「なかよし給食のことで」「その、何でなやんだの?」「なかよし給食をなんで好きなのか、わかんなくなった」(なかよし給食のことをなぜ選んだか分からなくなった、の意味)「はじめは、なんですきだったの?」「なかよし給食は、2週間に1回だから」
「なかよし給食」のことを書き出したけれど、続きが書けなくなり、悩んでしまったA君ですが、その悩みを、2年生では、自分で客観視できません。それで、友達がA君に質問するという活動を取り入れた、とてもおもしろい授業でした。
この活動のねらいは、書き続けることができなくなった自分の心の動きをたどることであり、まさに、「なかよし給食」のことを書く自分のストーリーを描くことにあります。A君は、友達に質問してもらいながら、自分のストーリーを描きますが、質問する子どもたちも、質問しながら、A君のストーリーを描いています。
つまり、この学習を通して、A君も、そして質問する子どもたちも、同じストーリー(といっても、一人一人違いはあるのですが)を描きながら、ストーリーの描き方を学んでいます。A君のなやみをもとに、ストーリーの描き方を学び、自分のなやみから、自分のストーリーを描いていくことができるようにしようと、指導者は考えているのです。
%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A6%EF%BC%90%EF%BC%91-1.jpg
学習指導に、「ストーリー」という考え方を取り入れたものとして、J・S・ブルーナーの『教育という文化』(岩波書店)があります。ブルーナーはこの中で、「ナラティブ」という言葉を用いて、「ストーリー」「物語」を大切にした未来の教育を提案しています。
J・S・ブルーナーといえば、1963年、『教育の過程』で私たちに大きな衝撃を与えた、あこがれの心理学者でした。その彼が、実はとうの昔に現役引退と思っていたのに、これはまた、大きな衝撃をもって、元気に再登場。それが、この「ナラティブ」だったのです。
「ストーリー」といったり「物語」といったり、「ナラティブ」の考え方は教育のみならず、医学、カウンセリングなど、幅広く用いられており、ビジネス誌にも「ナラティブ」が登場するようになりました。
医学の世界では、「ナラティブ・ベイスト・メディシン」として、一人一人の患者のナラティブを大切にした医療が行われ始めました。山形の教育も「ナラティブ・ベイスト」です。政治の世界も、「ナラティブ・ベイスト」であってほしいものです。

« 社長ブログ 一覧 »