きんいろのしずく きらきら
2009.01.20
大学四年生になった私はI小学校で教育実習をしました。当時、教育実習は5週間でした。配属になった2年2組の教室にS君はいたのでした。担任の先生はベテランの女の先生で、「お任せするから、好きなようにやってみなさい」と言ってくれました。
もう毎日が楽しくて仕方がありませんでした。朝早く学校に行き、子どもたちがいる間は一緒に遊び、子どもたちが帰ってしまうと、次の日の授業の準備と教材研究をするという毎日でした。一緒にI小学校に実習に行ったみんながそうでした。
それでも、楽しい日々はあっという間に終わるものです。子どもたちにお別れ会をしてもらって、教育実習は終わりました。終わった次の日からが大変でした。毎日子どもたちと過ごした学校には、もう行くことができないのです。行ってはいけないのです。
朝になると自転車に乗って学校の近くまで行き、グラウンドで遊ぶ子どもたちを垣根越しに見る日々が続きました。そんなある日の午後、ランニングシャツに半ズボンの男の子が自転車で、びゅんびゅんとやってきました。S君でした。
私を見つけると大きな声で、「せんせー!」、そして急ブレーキ。自転車から飛び降りるやいなや、籠から何か取り出して、にゅっと左手を差し出しました。その手にはアイスキャンデー。自分も右手のアイスキャンデーをなめながら、「せんせー、とけてしまう!」、左手のその先から、きらきらと、きんいろのしずくがこぼれていました。
「先生うちの息子、大学に入りました。もう、うれしくてうれしくて」、小学2年生だった彼が、大学に入ったのです。詩人であったご主人を早く亡くされ、女手一つで育ててきた、それが報われた瞬間でもあったのでしょう。誇らしげに、うれしそうに語るのでした。
ラクダイ横丁の「どっぺり」のことを聞きに来て、合格の話を聞くのも妙な話ですが、もちろん、私にとってもうれしいことでありました。その後、居酒屋Hでは、いろんなことがあり、いろんな人と出会いました。
作曲家のK.H氏と会ったのもここでした。居酒屋Hのママさんの「せんせー、やってあげなさいよ!」の一声で、K.H氏は私の学校での講演を、快く引き受けなければならなくなったのでした。
S君の消息はいつも聞いておりました。某大手通信会社に入社し、記者としてあちこちかけまわっておりました。その時々に、「今、シドニーなの」「これ、ニューヨークで撮った写真」「結婚したのよ。ロンドンで、家族の写真」と、静かにほほえむのでした。
このごろ、ご無沙汰しているなあ。今晩あたり、たずねてみようか…。