日本の教育を守る
2009.02.27
M小学校に行って来ました。このたびの新学習指導要領の柱の1つ、「言語活動と体験活動の重視」を正面から実践研究している元気いっぱいの学校です。今の子どもたちを巡る状況が話題になりましたので、考えていることを話させていいただきました。
今、もっとも深刻なことは、格差社会、子どもの貧困ということです。阿部彩著『子どもの貧困』に詳しいのですが、日本はひどい状態になっています。構造改革と規制緩和の中で、子どもから仲間が奪われ、学校が奪われ、地域が奪われています。
昨年の2月4日のブログにも書きましたが、小学校6年生の半分以上もが私立中の受験に走ります。教室に残った子どもたちの後ろ姿の写真が、教室の崩壊、学びの崩壊を語ります。受験競争に勝つことが人生に勝つことだと信じる社会が、子どもたちを分断します。
そして、その競争に参加し、勝つための経済力をもつことは親のつとめであると、マスコミは競争をあおります。挙げ句の果てに、競争に参加できないこと、勝つことができないことは、親がふがいないということであり、親の自己責任であると。
また、その意味で公立学校は常に「問題」です。そこにつとめる教員は問題教員なのです。だから、人事考課を徹底し、教員を競わせなければならないし、選択制にして、学校を競わせなければならない、バウチャー制も必要だなどというのです。
そうやって、学校をどんどん子どもから遠ざけ、地域の人々から遠ざけ、そして郷土愛を説くのです。国を愛する心を説くのです。子どもたちから仲間を奪っておいて、共生の大切さを説き、道徳教育の重要性を説くのです。
そんな教育改革は、東京では必要だとしても、山形ではそのまま実行できません。山形では、山形らしい教育を着実に積み重ねることで、この改革を実行していくのです。山形の子どもたちを確かに見つめて、地域の人々の声をしっかり聞いて。
内田樹氏は、「教育は惰性の強い制度である」(『街場の教育論』)から、いくら教育改革を打ち上げても、結局、今いる教職員と、今ある学校というシステムでしか改革は成されず、その結果は、改革を叫んだ人が生きている間には現れないといいます。
そうなのです。改革を行うのは今学校にいる先生方と、それに続く先生方なのです。先生方が、目の前の子どもとこれからの子どもと、学校が立つ地域と、地域の人々とともに行っていくのです。そういう、息の長いものが教育です。
山形の教育を守ること、それは、これまでもそうであったように、日本の教育を守ることであります。そういう、山形教育用品の強い思いで、このブログを続けて参りましたが、私のブログは今日で終わります。長い間のおつきあい、ありがとうございました。
山形教育用品株式会社、これからもがんばります。よろしくお願いします。