社長ブログ

今年もやって来た暑い夏

2020.08.17

今年は、例年になく梅雨明けが遅れ、山形県もようやく8月2日に「梅雨明けしたとみられる宣言」がありました。
7月は、「ずっと雨が降っていたんじゃないか」と錯覚するほど、晴れ間の少ない月でした。当然、梅雨特有の、肌にまとわりつく様な湿気の多い不快な暑さが続きました。「早く梅雨明けしてほしい」と、その時は思いましたが、梅雨が明けた途端、最高気温が35度前後の日が急に増え、「今までの暑さはほんの序の口。日本の夏をなめんなよ!」と言わんばかりの猛暑が続き、気楽に梅雨明けを願うのではなかったと、今更後悔しています。
今、地球温暖化のせいなのか、強烈な暑さの日が当たり前のように続きます。昔はもっと涼しかった? いや、暑い日は確かにありましたが、猛暑がこんなに毎日続くようなことはなかったと思います。また、日中暑くても夜はちゃんと涼しくなり、朝方は肌掛け布団ぐらいないと寒いくらいだったと記憶しています(私の「個人的な感想」です…)。
DSC_0923copy.jpg皆さんご存じの通り、山形市は74年間、日本の最高気温記録(1933年7月25日・40.8℃)を保持していました。1933年当時、私はまだ生まれてませんので当然記憶はありませんが、1978年8月3日(私が大学1年の時)に酒田市で40.1℃を記録した時のことは覚えています。その頃は、まだ日本で40℃を超えることはまれで、東北地方では1933年の山形市以来の40℃超えの記録でした。その日の山形市の最高気温は37.7℃でしたが、それでも燃えるような高温を経験したのは初めてだったので強烈に覚えています。暑さのあまり、蝉が何匹か落ちてきて、仰向けになった状態でもがきながら鳴いている姿に驚きました。また、夜になっても気温は下がらず、ドライサウナの中にいるような熱風の息苦しさが朝まで続きました。
翌年の1979年8月27日、山形市の最高気温は36.8℃でした。それほどたいした気温ではありませんが、その日は山形市北部の某鉄工所でアルバイトをしていました。工場の窓は全て開放されていましたが、溶鉱炉から溶岩のように真っ赤に流れ落ちてくる鉄と36.8℃の熱風のダブル攻撃の中で、次から次に運ばれてくる鋳型のバリ取りを黙々と続けました。作業着は、汗のためバケツで水をかぶった様な状態でした(以前聞いたことがあった通りに、水飲み場に塩が常備してありました。私は「そんなに塩分を取って大丈夫?」と思い塩はなめませんでした)。
今でもはっきり覚えている大学生の時の二つの暑さ。当時はめったにない「最高気温37.7℃と36.8℃」だったので記憶に残っていますが、今は猛暑日は当たり前になり、記憶に残るほど特別なことではなくなっています。昨年8月15日、鼠ヶ関で40.4℃を記録しました。すっかり忘れていました。昨年のことなのに、しかも40℃を超したのに、ネットで調べて「ようやく思い出す」程度です。ここ10年くらい、最高気温が37℃や38℃と報道されても、「ふつう~」と言う感じで受け流しています。このまま温暖化が続けば、10年後の天気予報では「今日は40℃を超す『超(チョウ)猛暑日』になるでしょう」という表現が日常茶飯事になるのでしょうか…。 
残暑が続きます。お体にご自愛ください。(2020.8.17)

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