社長ブログ

気になる場所2

2022.10.03

7月に個人的に「気になる場所」を紹介しました。1回でボツというのも寂しいですので、むりやり第2弾をやります。

一つ目は「なぜか二つある王将橋」です。
天童市の市街地中心部を流れる「倉津川」。その川に架かる橋には、将棋にちなんだ名前が付けられています。市役所の前は当然「王将橋」。川の上流(東)に向かって、「銀将橋」「歩橋」「金将橋」「桂馬橋」「飛車橋」「龍王橋」という名前が続きます。
ところが、天童市の西廻り道路(イオンモール天童の西側の4車線道路)の倉津川に架けられた橋にも、欄干に「王将」と書かれた、大きな将棋形のプレートが四隅に設置されています。
「なぜ王将橋が二つもあるのか!」「観光客から質問されたら、どう答えればいいのか?」
でも、安心してください。実は「王将橋」は市役所のところの橋だけです。西廻り道路の橋は「小畑橋」が正式名称で、よく見てみると欄干にも「おばたばし」と書いてあります。しかし、なぜ「王将橋」と勘違いするような「王将」と書かれたプレートが設置されているのかは、今だ不明です。
ちなみに、市役所の王将橋から西に架けられている橋は、今の市役所ができる以前からあった橋で、将棋とは全く関係のない、「一ツ橋」「旭橋」「多嘉橋」「稲荷橋」という地名からくる名前がついています。将棋の名前が付けられた橋は、昭和47年以降、市役所庁舎の建設とともに、都市計画によって新設された橋だけに付けられています。
話は飛びますが、天童駅前や旧市街地の真ん中を南北に通る県道22号線にかけられているのは「多嘉橋(たかはし)」です。この県道22号線ですが、古くは「羽州街道」として、後に国道13号線として、山形の産業や生活を支える大動脈でした。明治時代の初期に、当時の県令三島通庸の命により作られたのが、この「多嘉橋」で、総石造りの、きれいなアーチ状の橋だったので「めがね橋」の愛称で市民に親しまれていました。明治初期に作られた橋ですが、私が小学生の頃まで現役の橋でした。歴史的価値が高いという評価から、私が小学校6年の時、石の一つ一つが丁寧に解体され、愛知県犬山市の「明治村」に移設されました。現在も、「天童眼鏡橋」の名称で、明治を代表する建築物として「明治村」で存在感を示しています。

二つ目は「遺跡になってしまった(?)石段」です。
天童市の舞鶴山の南西側。車が通れる道路を山頂駐車場に向かって登っていくと、見晴らしの良い中腹に「イザベラバードの碑」があります。その碑の近くの急斜面に、道路から山頂に向かって、立派な石段があります。かつて、私もこの石段を何度か利用しました。しかし、平成に入った頃だと思いますが、石段を登り切ったところに、なぜか「立派な柵」が設置され、先に進めない状態になっています。柵をよじ登って進むことは、全く無理ではありませんが、足下の石段は怖いくらい急勾配ですし、柵は1m弱の高さがあるので、ちょっと危険です。今は誰も利用しませんので、夏場は草が茂って、石段があるのかも注意しないとわからないくらいです。何の目的で、石段をブロックするように柵を作ったのか、今だ不明です。
※橋の写真は9月19日、階段の写真は9月24日に撮影。


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