懐かしい昔のにぎわい
2023.02.15
私の趣味というか生活パターンというか、毎週土曜日の夜7時頃、人出の少なくなったイオンモール天童(以下「イモ天」)にふらっと出かけて、店内を1周するという楽しみがあります。
2月上旬の土曜日、いつものようにイモ天を1周していると、専門店街の3店舗が1月末をもって閉店していました。
私の個人的な感想ですが、イモ天は県内で一番集客力がある商業施設だと思います。JRの天童南駅が近いため、中高校生も自力で遊びに行けますし、土日の日中は、あんなに広い駐車場が、県内各地から来る買い物客でほぼ満車状態です。
しかし、そんなイモ天でさえ、信号機を挟んで東側にある「グルメ棟」は、全部の店が撤退し、かなり前に閉鎖されました。専門店街でも、3店舗以外にも、入口がボードでふさがれた空き店舗がいくつかあります。その姿を見るたびに、なんか寂しい気持ちになります。
話は変わりますが、山形市の七日町大通りも、今は人通りは少なく、夜ともなれば、ほとんど人を見かけません。特に、もと大沼デパートがあった交差点を車で通過するとき、昔のにぎわいを知っている分、誰もいない交差点を見るに付け、寂しいを通り越し、悲しい気持ちになります。
私が若かりし頃(小、中、高校時代)、七日町の交差点付近には多くの店が集まっていました。南西角に「大沼デパート」、南隣に「長崎屋」、南東角に「みどり屋(西武系列、3階に県内初のボーリング場があったと記憶しています)」、北東角に「丸久デパート」「みつます(食料品店)」東隣に「十字屋デパート」、北西角には「ジャスコ(イオンの前身)」が、交差点を囲むように立っていました。また、七日町大通りには、雨や雪の日も傘を差さずに買い物ができるようにアーケードがかけられており、デパートの他にも映画館、パチンコ店、飲食店、専門店が文字通り、軒を連ねるように隣接し、大変なにぎわいを見せていました。
高校生の頃、大沼デパートの信号側の角に「ロッテリア」ができました。土曜日の部活動帰りの夕方、当時流行っていたシェイクを飲みながら(吸いながら?)、多くの人が行き交う、にぎやかな雑踏の中に身を置く、独特のわくわく感を、しみじみと思い出します。
私が若かりし頃は、自分自身が若かったからなのか、世の中がまだ高度経済成長期の終わり頃だったからなのかわかりませんが、社会全体が活気に満ちあふれ、多くの人が街を行き交い、今の時代とは比べものにならないほど、たくさんの夢と希望を持ち合わせていたように思います。スマホやネットが無くたって、今ほどの色々な商品や食べ物が無くたって、少々貧しく不便だって、確固たる夢と希望を抱けた時代でした。
高度経済成長期、バブル期が終わり、日本経済は成熟期(すでに衰退期という人もいるが)に入っているといわれますが、今の若い人は、私が若かりし頃抱いた夢や希望にあふれているのでしょうか。「持っていますよ!」と笑顔で答えてくれる若者が多くいることを願ってやみません。
写真 ゲゲゲの鬼太郎で街おこしをした鳥取県境港市。ちょっと古い写真ですが載せてみました。ラッピングされたJRや街並みが妖怪で統一されています。2018年10月23日17時撮影。