社長ブログ

東京ディズニーランドと修学旅行

2023.04.14

明日、4月15日は東京ディズニーランドが開園した日です(簡単に言うと誕生日)。未だに超人気の施設なので、まだ新しいというイメージを勝手に持ってしまいますが、今年40周年を迎えるということをニュースで知り、「人で言うなら中年の年齢かぁ」と時間の経つ早さを感じています。
東京ディズニーランドがある浦安市は、私が大学生の時はまだ浦安町で、海苔の養殖が盛んな漁業の田舎町、そして、山本周五郎氏の小説「青べか物語」の舞台ということしか知りませんでした。浦安町は、当時私が住んでいた千葉県市川市の南側に隣接しており、自転車でも行ける距離だったのですが、行かずじまいで、今思えば、行っておけばよかったと後悔しています。
この「海苔と青べかの町」は、1983年(昭和58年)4月15日にディズニーランドが開園したことにより、「夢と魔法の王国」への入口がある市として、世界から注目される市に一変しました。
開園当時は、現在のJR京葉線も舞浜駅もなく、最寄り駅は地下鉄東西線「浦安駅」で、そこからバスに乗り換える必要がありました。開園当時は来園者があまりにも多すぎたため、地下鉄東西線の東京都区内の各駅に「ディズニーランドは現在入場規制しています」という看板が立つことも多く、浦安市に行く以前に、東京都区内で足止めを食う過熱ぶりでした。

私が初めて東京ディズニーランドに行ったのは、昭和62年の修学旅行引率の時でした。その後、何回か修学旅行で東京ディズニーランドを訪れましたが、今回は、特に印象に残っているエピソードを二つ取り上げてみました。

【エピソード1】
昭和63年の修学旅行。足に障害があり、長い距離を歩けなかったT君にディズニーランドが車椅子を用意してくれました。しばらくして、T君の班が、ビッグサンダーマウンテンだったと思いますが、長蛇の列に並ぶか迷っているところを見かけたので声をかけました。その様子を見ていたスタッフの方が、「こちら側にどうぞ」と、班全員と私を、長蛇の列とは別の通路に誘導し、いきなり最前列に案内してくれました。そして、スタッフがT君を車椅子からアトラクションへ乗せてくれて、班全員と私は、並ぶことなくアトラクションを楽しむことができました。 障害を持つ方へ自然に対応するスタッフの立ち振る舞いに、「さすがディズニーランド」と今までとは違う上質なものを感じました。

【エピソード2】
平成30年の修学旅行。集合時刻の午後8時。人員点検をしているとき、Sさんが具合が悪いと訴えてきました。集合場所からバス駐車場に移動を始めましたが、Sさんは他の生徒と同じスピードでは歩けなかったので、最後尾を、養護教諭の先生と私の3人でついていきました。私たち3人と最後尾の生徒との距離はどんどん広がって行きます。その間に、別の学校の生徒の列が割り込んできて、しかも、駐車場までの道は結構暗かったので、わけがわからない状況になりました。とにかく最後尾の生徒を見失わないように、懸命に生徒の後をついて行きましたが、「やばい!最後尾の生徒を見失った…」。でも、バス駐車場まで行けばなんとかなるだろうと、甘い気持ちで目の前にいる他校の生徒の後をついて行きました。かなりの距離を歩いたにも関わらずバス駐車場に着きません。嫌な予感がします。「ガ~ン!」着いた先は「東京ベイ舞浜ホテル」です。「えーっ! この生徒達はバスに乗るんじゃなかったんだ」。さすがに、Sさんは、これ以上歩くのは無理だったので、学年主任に電話で事情を説明し、3人だけタクシーで宿舎である品川区のホテルに向かうことにしました。初めて経験する本隊と別行動。ただ、タクシーの車窓から見える首都高湾岸線と沿線の夜景がとてもきれいで、ちょっとラッキーでした。
写真 黄砂と西風の中、散った桜の花びらが、歩道に雪のように舞い降りた朝 4月13日8時

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